息子の友達が遊びに来て、乱暴な言葉を使っている時、ああ小中学生男子って、そういう言葉を使いたがるよな、と思える言葉と、そうでない言葉がある。「そうでない言葉」とは、地方の言葉で、親である私が聞いて、ニュアンスがいまいちわからない時だ。
 これって、ここの地方じゃ、小学生男子が使って当たり前なのか、それとも親が注意しなければいけないほどひどいのか。友達のことだから、ある程度流して聞いているけど、自分の子が使っているとしたら、とりあえずでも、注意しておくべきなのか、親として。その辺が、方言だと、さっぱりわからない。
 この辺で「おめえ」というのを使う人がいる。
 これが私にはさっぱりどうなんだかわからない。女性でも使っていたりする。
 なので、地元の友人に聞いてみたら、色々なニュアンスがあると言う。
 たとえば「おめえたち」と、穏やかに優しい調子で言うと、とても愛情を感じるが、そうでない時に使う「おめえ」は、めったにないことだと。「お前」はあっても「おめえ」はナシ。 自分の息子が使っていても、とりあえず、そういう言葉は汚いから普段は使わないようにと注意する、と言っていた。これがとても参考になる意見である。
 「自分の子供が使っていたら、注意するかどうか」。

 ふと、自分の子供時代を振り返る。
 帰国子女として、戻った場所は、関西。
 関西と言っても、兵庫県宝塚市だ。地元の人はピンとくるだろうが、他の地域の人は、関西と言ったら、ひとくくりでしょう。大阪、京都、神戸、神戸も西の方、大阪も南の方、細かく言葉は違ってくる。宝塚のすぐ近くに伊丹市や西宮市、尼崎市もあって、ちょっとローカルな話になるが、同じ県内の三宮に出るより、大阪梅田に出る方が近い場所もある。かと言って、宝塚市はおっとりのんびりした住宅街なので、少し田舎感もある。西宮の人に親近感があるが、西宮も色々である。海沿い、駅近く、山沿い、全体を見渡すと、全然違うと言って良い。近くでも、ちょっとずつ雰囲気は違う。言葉ももちろんそれに伴って少しずつ違う。あとは、親にもよる。その親がどこ出身かによって。大阪の南の人が、神戸の西の人と結婚したら、結構言葉のニュアンスや使う語尾は違ってくる。
 さて、我が家。私の父方の祖父は岐阜の人である。祖母は岡山の人。母方の祖父は新潟だが、北海道に長くいた。祖母はやはり岡山。私の両親は、共に、兵庫県で育った。西宮や宝塚。
 で、私は、物心ついたらアメリカにいて、日本人は両親以外だと、関東の人に囲まれて言語を習得した。