『喜びを歌に替えて』を観た。
 最後の場面は、一般的な意見と共に、他にも色々な見方ができるといった意見もあり、私も自分の見方、他人の見方を知りつつ、どちらにしても、それに関して論じることができる、ということ自体が、映画の面白さを表しているのではないかと思う。
 この映画に出てくる主人公も、周りの人たちも、その人物像がとてもハッキリしていて覚えやすい。大勢出てくる時に、誰がどの人で何を言ったか、わからなくなってきてしまう内容のものも多いが、この映画は、全然混乱しない。そして、皆、それぞれの人生を抱えている。
 私が気に入ったのは、女性たちだ。人に対して優しくしてしまい、誤解を招く女性。相手はもちろん男女構わず、年齢構わず、障害があっても構わず、とにかく温かい。でも、誤解を招き、トラブルもある。他に、夫に激しい虐待を受けている女性。子供たち二人を守るため、彼女は最後に決意する。皆に守られて。この彼女が、圧倒的な歌唱力を持っており、ソロの部分で聴かせてくれる。そして、一番応援したくなったのが、神父の奥さんであった。夫と二人で「いいぞー!頑張れー!」と画面に向かって何度も声をかけた。神父である彼女の夫は、自分のプライドの高さとキリスト教としての忠誠心が強すぎることで、人としての温かみを忘れてしまっている。それこそが素晴らしいと思っているのだが、自分の真の心の声を聴かない。主人公に、歌う本当の楽しさを教えてもらった彼女は、やがて夫に不満を漏らし始める。段々と夫に本音を求めていき、最後には感情を爆発させる。彼女の苛立ち、夫の本当の気持ちを求める言葉が、いちいち鋭くて、小気味よかった。
 さて、遅ればせながら主人公のことだが、彼は幼い頃、父親を亡くし、ヴァイオリンを習っていたところを、周りの子供たちにいじめられて殴られ、母親の気持ちでその田舎を去っていた。
 私が衝撃だったのは、彼は、その時からずっと心がその故郷にあったということであった。自分でも意識していなかったようだ。その母親の気持ちも、私がその母親であれば、当たり前のもののように思うし。あまりにイジメが激しく陰湿であったり、続いていたりしたら、環境を変えてしまう、引っ越してしまえば良い、という考えは私の中にもある。
 ただ、ちょっとだけ疑問なのは、その母親は解決に奔走したことがあったのかなということである。物語の中のこととは言え、もし本当にあったことだとしたら、もし自分の身に起こったことだとしたらと、置き換えて考えてみた。
 奔走した上で、どうしようもなければ、引っ越してしまうのは手段の一つだと思う。が。ただ、彼は、納得していなかったのだ。それを大人になってから気付く。そこでやり直そうということで気づく。
 最後に、彼はトラウマを乗り越える。彼がイジメられていた草むら。ヴァイオリンのレッスンをしていた草むら。そこへ、大人になった彼が子供の時の彼を見つけに行き、抱き上げてあげる。
 彼に足りなかったこと、彼がしてほしかったことは、それだったのだ、と思った。