ストレスに関しても勘違いしている人が多い。ストレスというのは、自分のモヤモヤがある状態が嫌だとか、気持ちに負担な状態であり、又、決して忘れないでほしい点として「体に」負担であるというのも「ストレス」という言葉に分類される。
 自分の胃や肝臓など、許容量以上の物を口にしてしまったとか、持っている免疫力以上の菌がうつってしまった時。要するに、耐えられる負荷以上のものが体にふりかかってしまったら、それもストレスと言う。
 私のストレスのない状態。それは体に無理をしない状態、早く寝てゆっくり体を休める状態、そして「納得して毎日を暮らしている」という状態である。
 納得するには、疑問は解決したい。心の中のもやもやしたストレスをハッキリさせたい。ハッキリすることによって、それを解決する方法は、自分の心の中にあることを知っているので、自分に問いかけができる。少し考え込めば、もうスッキリする。同じような事態に遭遇した時、そういえばあんなことがあったなと思い返して、同じようなモヤモヤには、極力おそわれないで済む。
 ワタクシ、何回も同じようなことでいやな思いをするのが大嫌いなのです。それこそがストレスなので、一度嫌な思いをしたり、モヤモヤを抱えたら、なるべく一度で解消したい。そのために考えているのだ。
 ああ、考え過ぎが短命になるのなら、哲学者を始め研究者たちは皆、早死にである。
 作家もそろいも揃って、皆、早死にである。
 私がお気に入りの赤瀬川原平という人は、のほほんと生きているような文章を書いているが、彼がああいった文章を書けるようになるには、考え、持論を出し、それを言語化する、といった作業をしているであろうことも想像する。それがどんなものか、本当かどうかも知らないけど、でも、気づいていない人が多い。そしてその文だけ読んで「そうそう、そういう生き方が良いのよ」と表面だけを捉えている人が多い。私はその人たちに、なんだよ、本当にはわかってないじゃないかよと言いたい。
 以前書いたことがあるが、吉本隆明も、糸井重里も、私は大好きである。考え方全てに賛成はできていない。私は違う意見だなと思うことが多々ある。それでも、私は彼らが「考える」ということについて、真摯である生き方がとても好きなのだ。
 考えないことが良いことなのではない、自分が考えないようすることで、それがどれだけ周りの人に気付かれているか。自分の周りはどんな人なのか。考えるタイプの人にどう思われているのか。……まあ、考えないタイプだから考えなくて良いけど(笑)。
 私は考える人が大好きです。だから、自分のことも爽快に思ってます(笑)。正直、精神的なストレスは、他の人より少ないと思います。だって考えているので、あまり悩みません。そして、さらに明かすと、考えない分野も山のようにあります。頭がシャットアウトすること、急に聞こえな〜いって感じになること、わからないこと、考えてもどうにもならないこと、は、ちんぷんかんぷんになって、考えるのをやめてしまう。あはは。