さらに私に影響を与えたのは、大学の時の先生である。
 私の尊敬する、その先生は、「あなた方は考えることにおいて未熟だ」といった内容のことを、最初の授業で言った。その先生の授業では、いつも、あらゆるエピソードを話してくれた。大人と子供。家族。社会と教育。文化。人の心。そして、話が終盤になってくると、結論は自分で考えなさい、と放り出された。
 その先生のお陰で、考えることを強化させられたように思う。
 考えなさい、考えなさい、まだ足りない、自分たちの愚かさを知りなさいと、厳しい先生であった。でも、キツイ言葉などは一切使わない、態度は温かい、包容力のある優しい先生でもあった。本当に厳しいってこういうことなんじゃないかと思い知った。
 「考えない」のを、良いこととしている人は、その人の力量がそれまでなのだと思っている。エネルギーをかけることができないのだろうが、或いは忙しくて時間がないのかもしれないが、それは、脳のある部分を使うことから逃げている言い訳だと思っている。そして、それが悪いことだとは思わない。そういった生き方がその人を支えているのなら、私はあえて否定したくはない。ただ、それが何かの問題に当たった時に、今までのツケが来たなあと思う。しかも「考えない」ことが習慣になっているので、当人すら気づいていないくらいに、事態が悪化していくこともある。悪化していても気づかないので、次に似たようなことが起きると、本人はもっと辛い。けど、また「考えない」。と、繰り返していき、そのうち、周りに迷惑をかけていく。
 ただ、問題が起きなければ、そのままその人は平和に暮らしていくので、あえて、そのことについて私は、その人に対して深追いしません。チャンスが来た時だけ、考えたらと強く勧めるけど、その人が拒否するなら、まあアナタの人生だから良いんじゃない?と思って流します。皮肉とかじゃなく、本当にそう思っている。それはそれでokなのだ。そこは線を引いて考えています。
 以前、人は、癌になった人を見て「ストレスが強すぎたから」「考えすぎる人だから」「悩みが多すぎた」とか言った。長生きする人を見て「あまり考えないようにしていたんじゃない?」とか言った時代があった。
 でも、それは違った。今、若くして癌になった人を見ていて、共通項は、何ら見当たらない。なんなら私の周りでは、「考えないようにしている」人だって癌になった。サバサバした性格を売りにしているような人も癌になった。サバサバすぎて心が通じていないと感じる寂しいくらいの人だった。自分から、自分の心にも、他人とも壁を作っているような人だった。
 考えるから、考えないから、だから病気になる、というのは間違いだ。医者じゃないから真実など詳しくは知らないけど、「負担」という意味でのストレスは、活性酸素を増やして、癌など病気を引き起こしやすいというのは聞いたことがあるので、それを「考えすぎ」と勘違いしている人が多いのではないだろうか。ストレス=精神的に弱い、脳を使いすぎ、というのではない。