家族のこと、「人の心について」今まで色々書いてきたし、きっかけも色々あったけど、私はこういうことについて考えるのが好きなんだなあと思う。
 一番のきっかけはあれではないか、これだったな、あああの時か!などと、思い出す度にそうだそうだあれが一番最初だったと思うけど、もしかしたら、もっと昔からそういうことを考えるのが好きだったのかもしれない。グンとハマるきっかけが幾つかあったけど、一番の、とか、最初の、とかはもうわからなくなってきた。
 大学の時の先生が、教育とか子供の可能性、当時の私たち大学生の頭の中、家族とは何かを問いかけてくれたと、私は思い込んでいるので、そういう受け止め方をする時点で、私はそういうことに関心があったのだろう。
 最近、ああそういえば、と思い出したのが、当時その先生のレポート提出で、私の興味のない本を読まされた時のこと。話題にはなったけど、昔のアメリカでの話で、牧歌的なのか、ただ貧しかったのか、古き良きアメリカの姿だったのか、何だか知らないよー……という気持ちで読んだ。読み終わった後も、特に印象は変わらなかった。
 でも、何かひねり出さなければ、レポートは書けない。何も思いつかない。何か書かなければと思って、もう一度、流し読みをした。そこで気が付いたのが「この家庭の皆は、意外と生き生きしているぞ」ということであった。わいわい楽しくやっているわけでもないし、大きな事件があるわけでもなかったという記憶だが、バランスが保てていた。何故か?と思い、少し思い当たることをあてはめながら、もう一回流し読みをして、確信した。
 「父親」の存在であった。
 昔の時代の、理想、とされていた家庭像であった。お父さんが子供たちを引っ張り、お母さんは上手に受け答えしながらも、優しく強い心を持っている。全然奇想天外なところもなければ、それぞれが強い個性を持っているわけでもなかった。ただ、父親の温かい強さ、それによって保たれているバランスが、家庭を安定させていた。それでその話のつじつまが合った。うまくレポートで表現できなかったが、そのようなことを一生懸命、文にした。それは、当時の私には大発見であったのだ。
 「なんだ。結局、お父さんの存在って、家庭の中で大きいんだ。」ということが。
 その当時、一般的に、家庭の中で母親が強くて、父親なんか、っていう時代のムードがあった。父親の洗濯物を箸でつまむとか、娘はお父さんが嫌いだっていう雰囲気がありました。私はそんな中、平気で「お父さん?好きだよ。」と言っていた部類の子でした。でも、お父さんみたいな人と結婚したいわけではないと(笑)。私の両親も、一見、母親の方が強い。発言力や勢いがある。ズバズバ物を言って、圧倒させるところがあるように見える。でも。父は頑固である。自分がこうと思ったら、静かにそれを通す。カッコいいように聞こえるが、これに家族が手こずることやイライラすることはある。
 正直、穏やかで、トボけたことを言って、ぼやーっとして見えて、頼りなく見えることすらある。でも、もちろん本人はそんなことない、というのと、娘側から感じる親子の相性はとても良かったのだ。