『シュガーラッシュ』を観に行った。
 そのディズニー映画を、最初は大して期待もしていなかった。子供と、久しぶりに、映画の楽しさを分かち合いたいなーと思ったので、楽しければ良いなと思っていた程度だ。
 ゲームをやっていると、その多くは悪役がいて、そいつをやっつけて、ゲームが終わる。ストーリー仕立てになっていても、そうでない単純なゲームでも、そういう類の物が割とある。まあマリオに例えればクッパパックマンに例えたらアカベエなどである。『シュガーラッシュ』では、そういった悪役が、ゲームの裏の世界では、日常生活があり、あるゲームの悪役が「僕も時にはヒーローになってメダルがほしいなあ」なんて思うわけである。
 これがその話の中心。
 観る前も、この程度の知識はありました。でも、ああそう、ヒーローになりたいんだな、きっとなるんだなくらいに思っていた。
 でも、です。
 これは、40前後から人生について改めて考え始める、或いは色々迷いがある中高年に向けての映画ではないかと観ながら思った。何度も胸がいっぱいになった。その悪役に、気持ちが入ることはそんなにないだろうと思っていたが、とんでもなかった。私の胸は、その主人公である悪役の彼にわしづかみなのである。まあ、映画の世界で、彼らは、心から悪役をのぞんでやっているわけでもないという設定なので、当たり前といえば当たり前だが。とにかく、主人公の気持ちがわかってわかって仕方がなかった。
 中でも心を動かされたのは、人としての役割、というもの。仕事でも、日常生活でも、生きている上で、一つ一つが大事であることを感じさせられた。そして当たり前のようであるが、気の合う仲間が必要であること。
 もう涙が止まらない。
 ……となるはずが、私はまったく泣かなかった。この泣き虫の私が何故でしょう。
 理由は二つある。いや、その二つはつながっているので、一つと言えるのかもしれないけど。
 この日、映画館に入り、後から来たカップルが横に座った。
 これから付き合うかもしれない、そうではないかも、とりあえずデートに来てみました、という感じの初々しいカップルのようでした。
 大学生くらいかな、真面目そうな男の子は何となく「何を話したら良いんだろう」と思いつつ、思いつくことを話して、女の子に質問してあげている感じだった。「映画観る?」とか、「洋画はどうお?」みたいな。女の子も、緊張しているのか、言葉少なめでした。とりあえず一生懸命応えて、自然な感じでは話していた。
 おおそうか、私もそんなお年頃があったものだよと微笑ましく思い、二人がうまくいくと良いななんていう老婆心めいたものを勝手に持ちながら、彼らを邪魔しないように、ウチの子供がいちいち大きなリアクションを取らなければ良いなと思っていた。