今回の地震では、そういう写真集とか雑誌だとかを買う気にならない。特に今回の地震で目に見えた恐ろしい被害は津波である。そういう光景をわざわざ買って見るというのは、興味本位のようだし、見る気持ちが起こらない。本当に色々なことを体験した人たちに、失礼な気がしてしまう。やはり、津波に関しては当事者ではないのだ。もし買うとしたら、自分たちが住んでいるここの地域が震災後どのように過ごしてきたかを記録したものだろう。しかし、写真に撮るほど大きな被害はやはりない。もちろん液状化とか、建物の補修工事しなければならない程度の被害はあった。でも、「そうだったの、こんな感じだったの」というのは、そういった雑誌を見ても思えない。やはり、私たちはちょっと違う立場なのだと感じている。
 放射能汚染の話は、今後の人類が地球上で暮らしていくためにも、どうしていくべきか、考えていかなければならないし、議論も対策も必要。ずっと日常的に考えていかなければいけないことである。地震の後は、やはりそのことで頭がいっぱいだった。
 でも、ふと、そのミスターチルドレン中島みゆきの曲を聴き、ああこの地震は、何重にも大変なのだと思い出した。一つのことではない。揺れによる被害。津波による被害。放射能による被害。皆が何重にも苦しめられている。そして、住んでいる場所や被害によって、皆の気持ちは違うということ。
 たくさんの子供が泣いて、たくさんの大人も泣いた。画像から伝わってくる彼らの悲しみや涙が、私の胸を打った。
 私の子供もストレスに悩まされ、大人が泣いている姿を見てきた。テレビでも、パソコンの動画でも、目の前でも。息子は、画面上の、見知らぬ人と一緒に泣いていた。そして、たくさんの大人が頑張ってもいる。その姿も見せなくてはいけないと思う。
 印象的な写真が何枚かある。一生懸命にならざるを得ない瞬間の人たちの表情です。お互いを助け、支えようと一生懸命で、失った者と物を思い、泣いている大人がいて、泣いている子供を抱きしめて遠くを見据える大人がいて、皆、生きなければいけないのだという覚悟や悲しみを背負っているように見えてくる。でも、大人になっていたって、人間の心があるんだから、本当は子供とそう変わらない。感情を露わにする瞬間があって、それこそが人の姿、子供も目にするべきであるし、でも多くの時間は、大人はやはり強くいなければ、子供を守らなければと思い、そんな中、溢れてくる悲しみを抑えられなかったり。
 被害に遭った場所では、多くの大事な人や物を失った子供たちが、やはり同じように失った大人たちを目の前で見て育っている。亡くなった人たちがすぐ横にいて、助かった自分たちがいて、死ななかった限りは生きていかなければならない。子供たちもそんなことを感じているだろう。
 そんなことを感じながら、大人も子供も、知っている人の温かさを感じ、人間関係の厳しさや、嫌な思いも感じ、現実の社会を目の前にして、時にはウンザリしながらも、時には失った人や物に思いを馳せながらも、辛い現実と闘いながらも、頑張って前を向かなければと思っているのだろう。