しばらくして、ミスターチルドレン桜井和寿が、震災に寄せて曲を作ったからその動画を観てほしい、と、ミスターチルドレンファンの友人から連絡があった。
その曲に乗せての震災の写真が次々と出てきた時に、当事者たちの必死な様子が胸にせまってきた。逃げている時の気持ちや命に対する思い、現場での息遣いは、きっといくら想像しても及ばないだろうと思った。そして、大切な人を失った悲しみも。誰にもぶつけられない怒りや悲しみは、時に自分に向けられ、自分を責めることもあるのだろう。なんと苦しい作業だろう。誰も悪くはない。大自然でさえ。
 年末の紅白歌合戦は、あまり観ない方なのだが、おととしの暮れ、テレビの前を通りかかってふと目をやると、徳永英明が、中島みゆきの『時代』を歌っていた。その歌詞が、とても心にしみた。歌い終わってから、ニコッと微笑んだ彼は、「大丈夫だよ」と言っているように見えて、なんだか心が温かくなった。きっと意図してこの曲を選んだのだろう。後で、中島みゆきの『時代』を検索してみたら、動画が出てきた。そこにも震災の時の様子が出ていた。この曲は、ずっと前の曲だが、今の「時代」にピッタリなのだなと思った。ある女性歌手も、被災地に行って、自分の曲だけでなく、この曲を歌ったそうだ。
 改めて私たちの立場を考えた。
 私の住んでいる所は、福島県内です。原発からは約百キロ離れています。この地域は、揺れによる被害は、あまりなかった。しかし地震の後、原発事故のことで親たちは頭を悩ませていた。百キロ離れているのだからという事実と、汚染マップを見た時のギリギリ大丈夫な感じと、でも、汚染されていないわけではないという現実。いちいち測定してはいないけれど、道端のあそこは数値が高いんだろうなと思いながら歩く日常。そして、目の前で農家の方々の苦労を毎年毎年見てきて、この年も働くしかない様子を見ていた。子供がいる世帯として、考えてしまうこと。台所を預かる者としての責任として、母親として、命を守りたい子供を目の前に、自分が出す食事が、「きっと、多分、大丈夫なんじゃないかなあ??」で良いのか。激しい恐怖心を覚え、一時避難をし、大丈夫と戻ってきたが、あの時の恐怖心や不安感、心細さ、激しい焦燥感は忘れようもない。
 私たちは、家族も、住む場所も失っていない。だから、目に見えて失った者や物のある人たちと比較にはならない。そう思うと、阪神大震災とは違った感覚になった。
 阪神大震災の時も、私は何も失ってはいない。でも、家は色々修復が必要になった。水は1か月近く、ガスもしばらくは出なかった。車で5分の我が家にたどりつくのに1〜2時間もかかった。最寄りの駅までの間で、亡くなった人が何人もいた。親しい友人たちが避難をした。友達には親や家を失った人もいた。毎日のように、つぶれた家やマンションをたくさん見ながら通勤した。悲しい思いと一緒に、被災した現実が目の前にあった。私たちはまさしく「当事者」だったのだ。だから、そのうちジョークも言えてしまった。『阪神大震災』の雑誌を買った。そこには、日常に見慣れた光景がたくさん載っていて、知っている人も載っていて、それがつぶれていたり、倒壊した建物の横で頑張っている人がいたり、そうそう、こうだったの、記録として取っておきたい、と思ったからだ。