実はこの文、一年ちょっと前に書いたことである。感じ方も今と少し違うかもしれないが、時制だけを調整して、そのまま載せようと思う。昨年は、書いたものの、どうしても載せる気にならず、今回も迷ったが、載せてみようという気持ちになった。
 1月17日、阪神大震災の起こった日が過ぎ、東日本大震災と名付けられた日も近づいてきた。(これを載せるのは、さらに3月11日が過ぎていますが。)
 両方を「被災地」で体験してきた私としては、阪神大震災のことも思い出しては胸が痛み、一昨年の地震のことに至っては、まだ生々しい記憶として、過去のことにはなっていない。もちろん、直接何かを失った人々の気持ちは、想像しても及ばず、又、原発のことも、ちっとも落ち着いていない。
 阪神大震災の時には、数時間後つながった電気で、テレビを見た。実際に何度も通ったことのある場所、見慣れた風景がめちゃめちゃになった様子に、顔がこわばり、そのまま笑う筋肉を使うのを忘れた。
 その後、新聞やニュースで、救えなかった家族たちの話に胸が詰まった。動かせない重さのガレキの前での圧倒的な無力感。ガレキの中にいる家族と会話しながらも救えなくて火事から逃げ出した悲惨で壮絶な現実。消火しつくせないで眺めていることしかできないほどの火事。そして、過労で亡くなった消防士。色々が記憶に新しい。
 今回は、揺れているその瞬間からテレビをつけて見た。スタジオで、揺れながら安全を呼びかける必死な様子のアナウンサーたち。恐怖心が大きくなっていく自分の気持ち。とにかく長かった。阪神大震災の、短くて激しい揺れとは違い、船に乗って揺られているような大きな揺れ。早く終わってくれと、柱にしがみついて念じて続けていた。私のいた所は震度5強だったものの、阪神大震災を経験した者にとって、あの揺れは、充分過ぎるほどの恐怖心をよみがえらせたと思う。
 その後、ずっと津波の映像が続いた。
 別の場所で起こっている出来事なのに、生中継であることから、目の前でそれを見ているような感覚にとらわれた。ただ眺めているだけの絶望感と、無力感。
 家族で見ながら「ここの家の人は避難できているのだろうか」と、そればかりを話した。次々とのみこまれていく家を、ただ茫然と見ているしかない。
 現場では、やはり避難できていなかった人も多く、たくさんの人が避難しながら、目の前で流されていく人々を見て、ごく近くにいながら何もできない「自分」というものを実感し、悲しみ苦しんだ。お笑い芸人のサンドウィッチマンも、営業をしていて、津波に遭い、必死で逃げたという。その晩、二人はホテルのロビーだったかで、一般の人たちと毛布にくるまって過ごしたという。伊達の奥さんが、ブログで、「こういうことはお笑い芸人の妻として書いてはいけないのかもしれないけれど、主人が‘お笑い芸人を辞めたい’と泣いています。なんと言葉をかけてやれば良いのか」といった内容のことを書いていた。
 津波におそわれた時の現実は、テレビだけでなく、動画で、愕然とした光景や書き込みがたくさんあった。