息子のことや夫婦のことを考えることで、コミュニケーションについて考えることになった。コミュニケーションについて考えることで、言葉について考えることとなった。
 スクールカウンセラーのお陰で、少しずつ自信を取り戻すことができた。
 自分の気持ちがこれで良いのかと、一番揺れる、家庭での自分の役割。子供の接し方に自信がなくて、ずっと勉強してきたり、本を読んできたりしたことが、実はたいした効果などなかったのではと思ったけれど、ちゃんと家庭にカラーは自然に出て、反映されていると言ってもらえた。
 そして、コミュニケーションの取り方。それは、家庭それぞれで、それも家庭のムードが出るし、家庭のムードと、外の世界は違うということを、子供はそれを外の社会で学ぶわけだし、そうやって大人になっていくわけであるということ。社会での自分と、家庭内での自分との使い分け。それは、風通しの良い、自分が自然にしていられる家庭なら、皆がいつの間にか身につけてそれぞれでの自分を出しているはずである。
 もう一つ気になった言葉もあった。
 本からだが、「人を大事にしよう」「自分を大事にしよう」ということ。それは、相互作用として、つながっているということである。人を大事にすることで、自分のことも大事にできるし、自分を大事にすることで、人を大事にできる。それはグルグル巡っていると私はとらえた。
 自分のことをどうしても好きになれずに卑屈になってしまった時に、「好きにならないと、他人のことも好きになれない」ということが頭をめぐり、自分を追い詰めてしまいつつも、それでもやっぱり好きになれない、どうしようと、さらに思いつめる。こんなのでは、家族のことを好きなんていうのも嘘になるのではないか。とか。
でも、好きになれなくても、大事に思えば良いと切り替えられるようになった。自分を大事にしていれば、人のことを大事にできる。そうやって、人のことを大事にしていたら、自分のことも大事にできるようになってくる。そして、自分のことを大事にできれば……と、グルグルつながっていくのだ。
 これは、目からうろこであった。人のことを大事にできる自分は心地良い。傷つけるとかキツイこと、言いたいことをただ感情的に言うのではなく、相手を本当に大事に思っていれば、伝えたいことを伝えられるようになってくる。伝えたいことを伝えたら、自分の気持ちや心も大事にできた気がして、ますます心地良い。
 こういったことが、今回の私の気持ちを立て直せるきっかけとなった。
 言葉の受け取り方の違い。コミュニケートし続けること。それによって出てくる各家庭の雰囲気。人を大事に思い、自分を大事にすること。
 この考え方はきっと、今後も私を支え続けることとなることだろう。