「言葉って生き物だ」という言葉のもう一つのニュアンスは、その瞬間瞬間のこと。発した人と受け取り方の違いです。
 カウンセラーが言うには、言葉というのは、人それぞれ、人が存在するだけ、ニュアンスも少―しずつでも違うものだ、それくらい多様だと思っているくらいで良いのだということだった。だから、そこでコミュニケートすることが大事になってくるのだと。
 確かにその意味をそしゃくしていると、しみじみ理解できるようになってきた。そして、それを心がけようと思った。
 自分が、こうだと思っているニュアンス、それは、日本語講師を勉強した者として、また文章を書く時に、どれだけ相手に伝わるか言葉を選びながらああでもないこうでもないと思いながら書く者として、とても繊細で敏感にとらえているつもりである。もちろん、書いて伝えることはとても難しいので、伝えきれないこと、うまく表現できないことはしょっちゅうだし、できるだけ言葉だけで説明しようとすると、ニュアンス、伝わり方、相手のとらえ方を、書きながら考えないわけにはいかない。
 ただですね、日常会話として話す時に、何気なく使っている言葉に関しては、それほど意識的ではないという自覚もしています。だから、自分が「こういうニュアンスで」と発した言葉は、自分の口から放たれた瞬間から、相手の物となるのも納得です。相手がどう聞こえるか、どういうニュアンスでとらえるか、その時の、強調する意味でもなかった偶然の表情と重なって、相手にとって良くも悪くも何かしら強い意味を持ってしまうかもしれない。それは、相手の勝手なのだ。相手の勝手であるからこそ、自分が放った言葉に責任が伴う。ただ、日常的にそこまで気を使っていられないから、自分は自分のニュアンスで話し、相手は相手のとらえ方で受け取るし、相手は相手のニュアンスで話し、それを聞いて自分は自分のとらえ方で受け取る。だからスレ違うこともある。 言葉は、生きているのだ。人から人へ伝わる時に、形を変えることが多々ある。
 「カウンセラーも、言葉そのものを書きとる訓練をするんですよ。それだけ、言葉そのものを聞き取ることって、難しいんです。」と言われた時に、へーそうなんだ、プロの人でも、そういうのが難しいのだなあと変に感心した後、ああそうだった、私も、通信講座程度だけど、メンタルケアアドバイザーの勉強をした時に、繰り返し繰り返し、練習させられたなと思い出した。