私にとって、言葉とは生き物だ、とずっと思ってきている。
 「言葉は生き物」という言葉は、私にとって、二つのニュアンスがある。
 一つは、初めて15〜20年程前に、日本語講師の勉強をし、その先生が、そのようなことを言った時、とても共感した。単語や言葉の使い方は変化するものである、という意味です。もちろん、違和感があったりはするし、古いものも守らなくてはいけないことなどあるだろう。でも、言葉って、変わっていくものだ。変わらないのなら、ずっと昔の言葉で話さなくてはいけない。今、私が発しているこの言葉なんかも、昔の人にはとても通じにくいのかもしれないですよね。
 その日本語講師としての日本語を習った時の話ですが、その先生が挙げた例として、「今の人は、うそお?!って言いますよね。嘘なんか言うわけないし、そう言っている人だって、本気で嘘だと思って聞いているわけじゃないのに。でも、さらにその前は本当?!って言っていたんです。その‘本当?!’でさえ、私の親世代の人たちは、‘本当’に決まっているじゃないか、そんな風に言葉を使うものではないって言われたものですよ。」と話してくれた。私の母親くらいの年齢の先生は、言葉の変化に対して、寛容であった。
 今は「マジっすか?」という表現。私は面白いと思います。だから、自分が40のおばさんでも、友達相手なら、フザけて文語で使うことがあります。言葉って面白いです。標準語だって、結局どこの言葉かと言えば、東京の山の手の辺りから来ているのだ、と、別の日本語講師の授業で習い、なんだその曖昧さはと笑ってしまった。そこの人たちが使っている言葉が「正しい」とするなら、じゃあなんだって良いやとその時思ってしまいました。
 また、どういった日本語が「美しく正しい」のか参考にされているのかと言えば、一応NHKのニュースだそうです。アナウンサーの言葉がそうである、それが標準的だと思われている。でも、最近はアナウンサーも結構間違っていることがある。じゃあなんだと思うと、もう私は何でも良い。不快に思う言葉でも、自分が相手を不快にはさせたくないけど、ピッタリくるなあと思って使っている人たちがいるのなら、へーそうなんだと興味深く思ってしまいます。その言葉のニュアンスや何故使うのかを考え始めると、面白いもので。
 中学高校の女子校時代、当時の流行り言葉も面白がって使った。恥ずかしくて使えない言葉もあった。テレビで流行っていると言われても、関西では使わない言葉などもあった。関西だけで流行っている言葉もおそらくあっただろうし、学校だけで、学年だけで、なんなら友達同士だけで通じる言葉もあったし、それで大笑いした。ニュアンスが伝わると、多用する。
 なので、言葉って、基本的にどう使っても良いと私は思う。下品な言葉とか、相手が不快に思う言葉、人を傷つける言葉、は気を付けなければいけないけれど、自分の発する言葉がどの範囲でどのように理解されているかがわかっていれば、使っても良いと思う。
 責任となるとまた話は別だ。発する言葉について、責任が発生すると、色々気を付けなければいけない。不自由もするけど、それだけ言葉はどう受け取られるかわからないということである。