自分のことについては、色々トラウマについての本を読んできて、学習してきたつもりだったけど、その時読んだ本の中で印象的だった内容があった。
 人に言われたこと、についてのトラウマ。そういったことの克服の仕方。
 言葉による心の傷は、確かにそういうメッセージが相手には含められていたのかもしれない。何なら含まれていたと言える。でも、「感じた」のは、自分の責任である。だから、感じた当時の自分に対して、「違うよ」と何度も何度も繰り返し訴えてあげましょう、といったやり方が書いてあった。
 そう、周りのせいかもしれないことだし、実際そうだとしても、過去を変えられないし、その時、そしてその後の相手を変えることはおそらくできないだろうと。その代わり、自分を変えることは可能である。何度も言い聞かせる。つまり認知である。それによって、気持ちが変わってくるのかもしれない。
 トラウマについて、最初に読んだ本は、17年程前のことである。トラウマを起こしたその場面の直前まで振り返り、そこから記憶を塗り替えていくということであった。当時は、へーそんなことができるのかなと思ったけど、まあ参考の一つにと思って読んだ。
 今回読んだ本も、結局似たような対処法である。それで良いのかもしれない。脳の勉強も多少はしているので、そんなものなのかもしれないと、ある程度納得はできる。そして何よりも、それによって、自分の気持ちがラクになれるのなら、そうしたら良いと思うのだ。
 まあつまり、私にとって、あらゆることの気持ちの中心は、会話だったんですね。
 「言葉」。です。
 人と関わり合う中での、言葉はやっぱり大事です。
 これについて、スクールカウンセラーの人と話してから、さらに、おおそうか!と目がさめるような思いだった。
 個人の持つ気質、私の接し方や、周りの環境によって築き上げられた性格がある。一つだけではない。それは、どんな子供でも。強い特徴などないように見える子でも、どんな障害を持った子でも、その子の持つ要素にプラス何かしら家庭の影響は出るもので、そこに関しては、親は自信を持っていて良いんですよと笑ってくれた。
 ここで、やっと「言葉」の話になる。