色々思い返したり考えたりしているうちに、自分の気持ちが段々整理されてきたのもあり、夫と改めて少し話した。
 息子一人の個性だと思っていたものが、その傾向のある子の特性だとわかり、親の接し方でどうにかなるものではないと、ガッカリしたこと。親の接し方などは関係なかったこともあるのね。だけど、良く言えば、悪い方にもあまり影響されないってことかも。あと、特性に関しては、「男の人ってこういうことしがちだよね」「女の人ってこういうところあるよね」という風に分類するのと似ている程度なのだと気付いた。さらにその上での個性、個人差っていうのがありますよね。
 息子に似た子が、天文クラブにたくさんいる、と、以前書いたことがあるが、そのクラブでも、皆性格はバラバラ。雰囲気とか話す内容や話し方、物の見方、落ち着かなさは似ていても、ちゃんと個性はある。そしてお互いの存在を何となく認め合っている。
 夫だって、息子と性格がそっくりなわけではない。似た所は私よりずっとたくさんあるけれど、私と息子が気が合うところもあるし、それは夫と違う部分のこともある。母だって、その傾向にあると自身で言っているが、夫や息子と違うし、兄も違う。私だって、チェック項目に当てはまる所は幾つかあるが、また全然違う。さかのぼれば、母の父親、つまり私の祖父も、そういう傾向が強かったと思うが、性格は違う。息子の友達や知り合いでも、息子のようなタイプの子はいるが、気が合っても、やはり出方や性格は違う。そうか、それが個性なのだと、改めて当たり前のことに気付いた。
 親の接し方や周りの環境も影響しているのだろう。どこが出るかは個人の気質にもよるのだろう。
 そして、親の接し方がとても大きいのだという、心理学的な、カウンセリングで学んだようなことを、自分の中では考え直さずにはいられなかった。もちろん、大事なことではあるが、それが大半を占めているわけではない。なんなら半分以下かもしれない。気質的なものって変えられないのだ。
 そういう気質の者同士でも、仲が良い人もいれば、気が合わない人もいる。全然親しげに執着したりしないのに、気が合うと喜んでいる場合もある。そういうタイプじゃない私も、結局、そちら側のタイプの人と気が合ったり、とても好きになったりする。
 また、このことで、考え込んでいる時は、自己否定の気持ちが強くなって困った。これは、私の思考の癖なのだが、どうも、自分自身にどうしようもない欠陥があるような気がして、それは多分誰にもわかってもらえないと思うと、しばらく、孤独感と闘い、辛い作業が自分の心の中で待っている。
 で、結局、落ち着きました。1か月程、悶々、グルグル考え込んでしまい、夫を巻き込み嫌な思いをさせてしまったけど、かなり、ストンと落ち着くところに気持ちが落ち着きました。