ここの文では、なかなか毅然としたことを書いたりして、自分で読み返してみても、とても態度がハッキリしているような、しっかりした親のような印象を自分でも受けてしまうが、ちょっと言い聞かせているところがあるのは、私の周りの人ならご承知だと思う。
 本当は揺れちゃいます。こうしたい、と、文章なり、言葉で確認しないと、頭が整理されないし、不安になる。
 何なら、子育てなんて、もう揺れ揺れなのだ、と白状しておこう。
 以前も書いた、息子の成長具合。そして時々頭をかすめる「発達障害」というものの存在。息子は発達障害ではないが、その傾向にある、その気があるという風に分類されている。こちらとしては、深刻に悩み苦しみ対応してきたという感じはないが、それでもああなのかこうなのかと迷い、揺れて、悶々とすることは度々ある。
 昔は、そんなものの存在は認められていなかった。「それが苦手」「それができない」「そういう子だ」と周りに思われていたように思う。それで幸せだったのかもしれないと思う瞬間もあれば、やっぱりこういうことがわかってきて良かったと思うこともある。
 そもそも、そんなものを細かく分類して、何になるのだという疑問もわく。本に書いてあるチェック項目は細かく、誰だって幾つか当てはまるようなことがある。そして「素人だけでは判断できない」というようなことも、ご丁寧に書き添えてある。まあそれに振り回されることもあるだろうから、そういう注意書きは必要だけど、チェック項目がありながらの、「でも自分で判断してしまわないでね」って、下手に気持ちをあおっておいた上に揺らすんじゃないよ〜とツッコミ入れたくなる。そのくせ、最近の親は心配し過ぎたとか書いていたりもする。
 それに、注意したいのは、幼少時は特に、「誰もが」そういう傾向にある。「男の子で多い」と言われているように、ほとんどの男の子が当てはまるのではないだろうか。それを過剰に心配しても仕方ないから、こちらとしては、のんびり構えていたら、いつの間にか子供は成長していて、おやおや、どうやら自分の子は、周りとある部分の発達具合が違うぞと気になってくる。どうかな、当てはまるのかな。
 以前は、その辺の自己判断で「そうだって、違ったって良いじゃないか!」と悟りをひらいたような気持ちでいた。しかし、段々「その傾向も思っていたよりあるようだ」と、わかる部分が多くなるにつれ、どうにも不安の方が大きくなってしまった。
 何で不安なの?
 って聞かれても、さあよくわからない。
 何がいけないの?
 って聞かれても、やっぱりなんだかまあよくわからない。