夫と私は、息子がいたらなかなか体験できない、静かなフランス料理屋を予約していた。それが、その年のズレズレの結婚記念の、ささやかなお祝いである。
 なのに。すごくさびしかった。「ミツが家から巣立ったらこんな感じなんだね」と夫と言って、二人で楽しくお笑い番組を観た後、さっさと寝た。寂しいなあ、あの可愛い寝顔がとなりにないなあと思いながら。
 自分の当時の転地学習というものを思い出した。
 4年生と言えば、いじめられていた真っ最中である。私は前日だったかに、怪我を負わされた。膝を深くすりむき、それがジーンズにこすれてとても痛かった。あまりに痛くて、オリエンテーリングが終わった後、先生に言って、薬を塗ってもらった。いじめられて、友達作りも禁じられていたので、誰とも楽しく過ごせなかった。寂しかった。私がアメリカに住んでいたころに流行っていたと思われる曲を皆が喜んで大合唱した時も、何で皆知っているのかと、やっぱりさびしかった。学校などの旗の上げ下ろしと、それを畳んでいる様子が面白くて、じっと見た。それしか記憶にない。とにかく孤独で寂しく、辛かった、としか印象にないのだ。オリエンテーリングもよく意味がわからなくて、班の子たちについていくだけで、何が行われているのか、ハンコを集めていってどうなるのか、もう本当に何も楽しめてなかった。
 しかし、息子は帰宅後、「楽しかった!!」と話が止まらなかった。一日目は、雨だったので、「樹木オリエンテーリング」のようなものをやって、クイズ形式に色々な木の名前を知ったこと。お風呂の熱さ。皆で入ったこと。お風呂での様子。寝る前のお喋り。皆で、換気口に足を向けて「これならおばけが出てきても皆の足しか見えないし、臭いからお化けも退散するよ」と笑い合ったこと。朝は友達に起こされるまで寝ていたこと。布団の片づけが厳しくて、皆最低でも1回はやり直しさせられたこと。二日目のオリエンテーリングは、宇宙に関連したテーマで班が結束して、かなり早くゴールできたこと。班同士の人と関わって見直した子がいたこと。そしてそこの宿泊施設のリーダーの名前と、言動。食事の内容。
 色々と次々に話してくれた。そして同じ内容なのに、夜になって、そうそうと思い出したように、また時々話してくれた。夫が帰ってきたら「お父さんお父さん」とまた話した。そうかそうかと二人でにこにこ聞いた。私は本当にうれしかった。
 私には寂しく辛い思い出ばかりなのに、息子は小学校ではちょっとばかり浮いたような存在なのに、あんなにも楽しんできてくれた。嬉しくて、なんだか涙ぐみそうだった。そんなに楽しいものだったのか。自分までもが報われた気がした。
 息子は、勉強面での興味があることがやたらに突出している以外は、全体的に発達が遅い。幼稚園の年長さんの時に、緊張が解けて泣き喚いたのも、まだ息子にとっては早かったのかもしれない。体験したことは悪くはなかったけれど、体験しなくてもまだよかったのかもしれない。でも、今回は皆に追い付いてきた発達。すごく楽しめて、本当に息子が成長した喜びを感じた。こんな気持ちになれる子育ては、本当に素晴らしい。