でも、私の気持ちはそんなものではなかったのだ。
 怖いね、だけではない心の底から湧いてくる恐怖が、ものすごかった。
 その後、息子ができて、夫が何度か「いつか息子をニュージャージーに連れて行って、ニューヨークも歩きたいね」と言っても、私は返事をはぐらかしていた。
 怖いから。
 と言ったら、「そんなこと言ってたらどこにも行けないよ」と言われるだろうと思っていた。大げさだよ、何を被害者ヅラしてるの、と言われるのではないか。あのテロ事件の時、私は日本にいて、誰も何も失っていないではないか。
 だけど、私はあの崩落を見ながら、心の中で「もう絶対にアメリカには行かない」と、強く思ったのだ。それは、自分の意志で「まあ行かなくても別にもう満足したから良いか」というものではなく、未練がないわけでもなく、ただ怖くて行けない、という気持ちで「行かない」のであった。
 そして、報復を始めた時に幻滅をし、さらに「行かない」という気持ちを強くした。
 そりゃ行こうと思って行けるような距離ではない。行こうと思ったって、一生のうちに1度か2度行けるかなっていうくらいだろう。でも、行きたくないし、もう構わないという「行かない」と、怖いし幻滅したから「行かない」というのとでは大きく違うのだと気付いた。
 10年間その細かな気持ちを人に言わず、「怖い。悲しい。憂鬱だ。あちらで暮らす人々の気持ちを思うと、辛い。」とだけ表現し、とにかく二度と行かないと思っていたが、本当は、自分の故郷のように思っている場所であること。行けるものなら行きたいと思っていたことに気付いた。
 そして、昨年の地震による津波原発で、住んでいた故郷を追われた人たちを思った。
 あのテロと地震による被害は、それぞれに遺族がおり、遺族にとっては同じような気持ちになり得るつながりはあるかもしれないが、それでも起こったことに関しては、まるっきり種類が違うと思う。テロは、あの直後から日常が始まった。あの場所以外で、いつも通りの日々を皆が過ごさなければならなかった。別に、ライフラインと呼ばれるものに困るわけでもない。水も出るし、ガスも電気も使える。誰も失っていない人がまた同じ日々を過ごしている。でも、誰も何も失っていない人々にも、何らかの喪失感がある。
 ただ「喪失感」に関しては、同じなのだ。突然失った物や者に対して、人はそう簡単にその後の環境を受け入れられないと思う。受け入れなきゃと目の前のことをこなしていても、「失った」という感情は、時々顔をのぞかせ、それをおしこめていると、急に強い疲労感と共に、空虚な気持ちにおそわれることだろう。
 で、私はと言えば、さほどその人たちと変わらないのかもしれないと思った。目の前で見たりはしなかったけど、私も喪失したのだ。誰も何も失っていないけれど。日常生活も変わらなかったけれど。