映画『ものすごくうるさくて ありえないほど近い』に話を戻そう。
 奥さんは、別のビルから、その夫の電話を取り、最後となる会話を交わす。奥さんは、夫の「愛しているよ」を聞きつつも自分は何も言い返せない。最期みたいな、そんなこと言わないで、でも私も何かベストな言葉を伝えなきゃと必死で言葉をさがし、「電話を切らないで」と震える声で懇願しながら、崩壊していくビルを、悲愴な気持ちで見つめる。
 その時、犠牲になった人たちからの電話の記録というものが実際、多く残っているらしい。愛する人へ残したメッセージ。なくなる命を前に、どうしても伝えたい気持ち。そんな切実なものを、唐突に聞かされたら、ただただ茫然とするに違いない。
 映画ではその奥さんの気持ちが伝わってきて、ああなんてことだと心の中でも絶句し、涙が流れた。なんてひどい事態だったんだと改めて思った。
 奥さんが、後に「愛しているっていう声が聞きたい」というようなことを言った時にも、とても胸を打った。
 二人には、小学校高学年の息子が一人いる。その子が、発達障害の傾向があり、物事へのこだわりや、数字への執着などが強い。感情に関しても、表情からは少し読みにくい。発言も唐突だったりする。私にも小学四年生の息子がおり、この子ほどではないが、少しその傾向があるので、重なるところが多かった。できないことに関して臆病なのも、よく似ている。やる時には、できていないといやなのだ。好きなことは努力して少しずつ上手になっていくが、そうではないことは、「やってみたら好きになるかも」「上手になるかもしれない」のに、最初からうまくいくわけがないから、なかなか手が出ない。もどかしい親の気持ちと裏腹に、本人はいたってマイペースだ。トム・ハンクス演じる父親は、その辺の息子への距離感が良い。「僕はこうだったのにな」と思い出話をして、少しもどかしい思いをしつつ、でも、その子をけしかけたり、怒ったり、軽蔑したり、無理にやらせたりしない。仕方なくそうかそうかと受け入れる。私はこうなるまでに時間がかかった。今も時々イライラしてしまうので、人間ができていないなあと思わせられる。そういった彼の態度もまた胸を打った。
 映画では、あのビルが崩落する直前か、父親からの電話が、家に鳴り響いた。何度も留守番電話に入っていて、最後のベルが鳴った時には、息子は電話のすぐ近くにいてベルの音を聞いた。でも、息子は、どうしても受話器を取ることができなかった。
 その息子が、そのことを打ち明けるまで、映画のストーリー上では1年以上が経っている。それを彼が1年以上もたった一人で抱え続けていたということに、私は涙が止まらなかった。なんて重い物を、こんな小さな子が背負い続けていたんだろう。辛かったろう。
 そして、電話を取れなかったことではなく、これを黙っていた自分のズルさを許してくれるかい?と聞いた時にまた涙が止まらなくなった。
 子供は大人が思っている以上に、日常の表情とは裏腹に複雑に思いを馳せ、それを抱え込んでいることがある。おそらく、実際にもこういう子がいたのだろうと思う。