映画、『ものすごくうるさくて ありえないほど近い』を観て、11年ちょっと前の衝撃が自分にとっては、予想できなかった感情を呼び起こした。
 映画の感想と共に、その当時の自分のことなど書いていきたい。
 2001年は、私にとって、ずっと、良い年ではなかった。
 年の初めから、International schoolを、週に数回、数時間、頼まれた。ほんの数か月間のことだったが、私にはものすごいプレッシャーとストレスとで、夜は頭が冴え渡って動悸がして眠れなくなり、眠りが浅くなり、あっという間に自律神経失調が重くなった。テレビを観ていても、新聞を読んでいても、ちょっとした人の気遣いを感じると、その症状は出た。背中の奥からじわじわっとむずがゆいような気持ち悪さが広がってくる。ウーン……と目をつぶって耐えていると、たいていはおさまるが、その頃はそれがおさまらず、手足にまで震えが来た。そして涙が出てきた。とても辛かった。学校のお手伝いを終えてから特にその症状はひどくなって、夫以外の人に会うことも辛くなっていった。市の国際交流センターに登録をし、ボランティアをやっていたのだが、それも迷惑がかかってしまうので辞めた。思い入れのある祖父が亡くなった。両祖父母4人の中で最初の死だった。そして、飼って可愛がっていたハムスターが亡くなった。自律神経失調は治るどころか、どんどんひどくなっていった。
 9月には、夫の遅い夏休みを利用して、二人でアメリカに旅行に行こうかと話していた。色々ホテルを調べ、行き先を調べて予約をしたりしていた。が。どうも気持ちが乗らない。夫と二人の旅行はいつも楽しい。アメリカも楽しみ。自律神経失調も多少改善されるかもしれない。色々希望を持とうと思っても、何故か嬉しいと思えない。日にちも決めかねていた。予約をしたものの、やはり日程を変更しようなどと、何度も話し合い、キャンセルして別の日に予約し直したりなど、とても手間がかかっていた。夫にも話した。「なんだか気乗りがしないんだよ、なんでだろう。」そして、予約の時に登録していたキャッシュカードを失くしてしまった時、夫が「何かこういう時は、良くないんだよ、やっぱり今回はやめよう。」と言って、全てをキャンセルした。
 これが、9月10日前後〜15日辺りまでの旅行のことであった。
 何か胸騒ぎがしたのか。
 飛行機の一機は、私たちがアメリカから日本に戻る時に、よく利用していた時間の同じような便であった。
 とてもいやな思い出ばかりある年だ。
 私は、その映像を観ながら、アメリカという国の存在を何となく思い起こしていた。ワールドトレードセンターは、私にとって、そこに空があるように、当たり前に存在する物であった。歴史上でも、アメリカは外国に戦争を仕掛けても、一般住民の犠牲者は少ない方である。そういう意味でも、アメリカはずっと存在するものであると思い込んでいた。