もう一つ、留未子が、幸世に受け入れられないとわかった時に、全身ですがるシーンが印象的。うわっ引くわ〜ひえ〜と思いつつ、これくらいやっても良いよー!した方が良いよー!とか、つい他人事をニヤニヤしながら観てしまう。最後になりそうだったら、自分の思いの丈をぶつけたら良いと思う。その方がスッキリしちゃうもの。だけどね、「幸世君の趣味に合わせる」だの「好きな曲とか勉強する」だのそういう台詞があるんだけど、これもまた、違うでしょ。10代の恋愛じゃないんだから。相手の好みを「勉強」して、合わせたところで、面白いのかい?と。自分が面白くないのに、相手の趣味を勉強して、わかったところで、その趣味を好きになれなければそれは我慢や忍耐に過ぎないでしょ。さらに「you tubeで観るから〜〜」と泣いてすがるところで、私は軽く吹き出した。「You tubeで観る」。いかにも最近の人が言いそうだ。面白い画像を、紹介し合って観るものね。私もするし。でも、それだけで、相手のことを知ったような、好きになってもらえるような感覚を持っているんだこの子(の役)は。と思うと、笑えてしまった。「you tubeで観るから〜〜」って……お笑い芸人がふざけているのかとツッコミ入れたくなった。
 初めての恋愛や、片思いが実って両想いになったような錯覚に陥るような恋愛って、そうなりがちなところはあるよねえ。特にまだ自分の芯がなくて揺れているような、あらゆる物事の好みが定まらないような状態の時は。これに関してはすごくわかる。でも、そのつきあっているような期間中に気付いてしまうのだ。「無理しているよな私。しんどい」と。背伸びの状態ですね。或いは無理してしゃがんでいるのかも。で、「素の私じゃ好きになってくれないのか」と思うんです。それで、ああ疲れた……違うんだよね、きっと、この人じゃないんだ、この人は「私」をみていないんだと、気付くんです。
 そういう意味でも、長澤まさみ演じる「美由紀」も同じ。幸世のことが好きになってしまったけど、認めたくない。だから「会わなければ良かった」と繰り返す。裏返せば好きになっちゃった。である。でも何故認めたくないのか。それは「自分が成長できないから」だそうだ。幸世君じゃ成長できない、とこれまた繰り返す。
 ああ、世の若い女性に対して、声を大にして言いたい。「恋愛て、自分を成長させなくてはいけないものですかあ〜!!」。成長するために恋愛するものでもなければ、成長する恋愛が優れているわけでもない。誰だって人を好きになって、何かしらの変化はある。色々考えることで、どんな相手だって、自分の気持ちは成長している。それで充分ではないか。
 さて、これに関しても、ワタクシ、そう思っていた時期がありました。でもこれも、最初の「錯覚した両想い」で気付くわけです。始めは「私、成長しているんだ」と思ってました。自分がどんどん未知の世界に足を踏み入れていくような高揚感。でも。それって別に成長じゃないわけです。それに、そんな素晴らしい相手でもなければ、別に相手に育てられるような筋合いもないわけです。師弟関係じゃないんだからさあ。