ドラマの時から流れる音楽も面白い。丁度40代をターゲットにしたような音楽が次々と流れて「懐かしいね」とダンナと言い合う。ダンナの方が詳しいので、ダンナはダンナで色々感じる所があったようだ。
 やはり観た直後の印象が強いので、ドラマより、今回観た映画に関して書きたいのだが、映画『モテキ』は、恋愛モノのドラマや映画でよく見るような、恥ずかしくなるようなわざとらしさがなく、ドロドロした感じもなく、何だか親しい友達の恋愛を見守るような、ものすごく「ありそう」で、リアルな恋愛を描いている。そんなクサイ台詞も出てきはしない。ビックリするような、ドラマチックな展開もない。悲しい場面も感動的な場面もない。日常の恋愛ってこうだよね、友達の話ってこんなもんだよね、私の恋愛ってこうだよね、っていう、ヒジョーに繊細に日常感が出ているのだ。ま、ちょっとコミカルではあるけれどね。
 それによって、浮き彫りにされる自分の恋愛観や、過去の恋愛、友達の恋愛話から思い出される自分の感情、友達の気持ち。特に強い感動もないのに、観終わった後にすごく話したくなるような……いやあ、面白かったのだよ。
 まず書きたい女性は、麻生久美子演じる「留未子」。
 森山君演じる「幸世君」を好きになるのだが、幸世の心は、長澤まさみ演じる「美由紀」でいっぱい。それを知りながら、留未子は告白し、幸世が一時の過ちをおかしてしまう。留未子は、それを、幸世のただの心の揺れだと知りながら、つい翌朝に、一瞬、彼女ヅラをしてしまう。この辺が実に絶妙な演技なのだ!演技というか、ありがちな話なのだ。ああいそう、こんな人。30超えて、こういうことがあって、こんなこと慣れていると思われたい。でも、つい彼女ヅラしたくなる。そして、寝起きの顔を、化粧だ何だ言ってしまう。何て何てありそうな話、台詞。でも、幸世の心はやっぱり違う、とわかると、途端に我に返って卑屈になる。ああ、本当にいそうだこんな人!!!頭を抱えたくなるくらいだ。
 私ならまずない。傷つくのが怖くて、自分から告白できないし。そして、相手の気持ちがちゃんと誠実な思いと共にある、とわからないと、次の一歩を踏み出さない。踏み出したくない。自分が大事だから怖い。心も身体も傷つくような気がして、そういうのは、双方の愛情のバランスが取れてこそのもの、という頑なな思いがある。さらに、急に冷蔵庫を開けるだの、そこで何か作ってあげるだの、そうやってその人の領域に踏み込めない。遠慮が先に出ちゃって、かなり長い間ヨソヨソしい。ちなみに男女問わず、誰に対してもそうである。かなり長い間ヨソヨソしいけれど、それにも根気よく素直に接してくれる人には、相当わがままというか、精神的によりかかっちゃいます。
 こうやって、この場面だけで、自分の恋愛がこうやって表沙汰になる。私ならこうする、私ならこうしないとかね。女だけど、留未子の浅はかさを情けなく思う。そして、こういうことをもし女友達に相談されたら、むしろ幸世のことをボロクソに言うだろう。友達と自分との距離感なんでしょうね。でも、映画ではここまでの「幸世君」の心情を知り過ぎてしまい、あまり責める気になれないんですね。こんな揺れ揺れな男、本当は嫌だけどね。