息子が「グズる」時、私はつい否定したくなって、叱ってきたけど、でも、グズること自体がいけないことだとは伝えないように、幼い頃は特に気を使って努力してきた。それが実ったと言えば実ったんだけどさ、でも、本当にそれが身についている子ってこうなるんだ、と改めて感心してしまった。実物見ちゃったよ〜って感じ(笑)。
 私は台無しと思うけど、息子は、「そんなこともあった、でも楽しいこともあった」と区別できている。割り切れているのだ。それに心底驚いた。気質の違いももちろんあるだろう。私は、全身で、人の嫌な感情を受け止めてしまい、それを何とかしてやりたいと一生懸命になってしまう。だからこそ、両親の気持ちにも精一杯応えて、自分が心地良いことを知らせたいと思う。でも、息子は違う。そして、息子が違うことで、そうなった時の両親の反応も知ることができた。さらに、両親は、グズられると「残念」て程度で、それほど深刻にとらえていないこともわかった。ああ、私もグズれば良かった!!!でもしなかったのは、私の気質的なものもあったのかもしれない。
 息子が一番グズったのは、夏祭りの時だった。
 釣ったヨーヨーの、一番好きな色を割ってしまったのだ。それで、さらに代わりのを、と、何回かやらせてみたけど、そうではない、息子はただ一緒に残念がってほしかったのだろう。悔しいね、悲しいね、そう言われて一時的にギャーとひどく泣くかもしれないが、でもそれだけで良かったのだろう。
 そして、私は最悪な気分で帰った。息子は盆踊りが大好きなので、是非踊らせてやりたかった。父も母もその様子を楽しみにしていた。なのに「盆踊りももうしたくない」と泣き喚きながら帰ってきた。ああ台無し。……と、私は思った。帰ってから説教してしまい、皆が楽しみにしていたんだよ、その気持ちがわからないのかと言ってしまった。父と母に謝らせた時、私は自分の気持ちに気付き、また子供の気持ちに気付き、大いに反省した。
 母はもう良いよ、楽しかったんだよと言ってくれたが、息子もわだかまっていたので、話し合ったり謝ったりするチャンスがあって良かったと思う。そういうチャンスをもらえるのは非常に大事なことである。話し合うなど納得すれば、サッパリするのが子供だ。うやむやにすると、その時は何でもないフリをしていても、いつまでも心に詰まっている。
 父は、別に良いよ、でも泣いたら皆楽しくなくなるから泣かないでねと言ったが、私の「泣きたい時は、家族の前では泣いたら良い」方針とは違うので、息子は「ウン。」と言ったものの、納得はしていない感じだった(笑)。とは言え、「おじいちゃんやおばあちゃんがどう考えているかがわかったね?」と話すと「ウン。」と嬉しそうだった。どう考えているかわかれば、親の方針とは違えども、それがその人の考え方、個性で、息子も今後どうすれば良いか、どの程度が許されるか、どんな風に振る舞えば良いかがよくわかるだろう。また同じようなことが起きても、どう周りに思われているかがよくわかるしね。息子にとって、おじいちゃんおばあちゃんがどう感じているかを知るというのは、また一つの社会勉強だ。親とは違う。友達ともまた違うだろう。私もまた、そうやって息子が謝ったことで、両親の考え方を知ることができて、とても収穫だった。