さらに、気質の問題もあることを、どうしても付け加えておきたい。
 同じことを大人にされた時に、あまり堪えないタイプと、堪えるタイプとがある。さらには、あっちのことに関しては堪えるのに、こっちでは堪えない、こっちでは堪えるのに、あっちでは堪えない、とそのタイプの中でも、感じ方はそれぞれだ。場面や相手の言い方、色々なことが絡み合って、その人に影響する。客観的に見る技術もあるが、日常的にそんな技術を発揮しながら会話しているわけではない。
 親は、自分の子供と接する時に、この子は、どういうことに感じやすく、どう感じるか、それを考えながら、個人個人と接する必要がある。兄弟姉妹がいれば、さらに感情は複雑で親は大変な思いをするだろう。そこで、一番肝心な、「子供を一人の人間として尊重し、愛情を注ぐ、フォローをする」という、人の心の構造の基本に沿った接し方を覚えていれば良い。人の心のメカニズムは必ずある。こういう時はこんな心の動きになるという、人の基本的なメカニズムは存在するのだ。それは、幼ければ幼いほど、わかりやすく表に出る。
 もちろん、そこからの反応は違う。
 表情の出方は、気質と、親の表情によるものがあるし、そこから発する言葉は、親の言葉と、周りの環境によるものがある。そして、何より湧いてくる感情は、親とは関係なく、その子の気質的なものが大きい。
 自分が嬉しい場面で、親しい人も嬉しいとは限らない。自分が悲しいからと言って、相手も悲しいとは限らない。自分が、その状況で強く立ち直ってこられたから、強く生きてこられたからと言って、その人もそうだとは限らない。
 それが「自分の」子供であっても、です。
 自分の子供だから、自分の感じたように、感じる、と思うのは、大きな間違いだ。私は子供の立場でもそう思うし、親の立場で、つい「自分の感じたように感じるだろう」と思ってしまうのを、我が子を見て愕然とする場面が本当に多い。なので、心の構造を理解しつつ、その後の反応を見て、ああこの子はこんな風に思うのか、と受け止めていかなければならないと思う。受け止めてから、どう対応するかは、またその親による。
 とりあえずは、「受け止める」。これが、できない親が本当に多い!私の見る限りほとんどだと言って良い。そう、私もです。でも、そこを戒めている。戒めて、受け止めなくちゃという葛藤と闘っている親も山のようにいる。そうやって立ち止まって、考える機会のある親であれば、子供に対する責任は放棄できないはずである。
 子供は子供、親は親。別の人格であり、気質も違う。子供は成長するにつれ、自分について責任を持っていかなければならない。責任を背負いながら生きていく。それが大人になるということだ。
 でも、大きくなって、何かあった時に「もう大人なんだから」と、突き放すことはすれど、自分の責任をなかったことに、或いは忘れたことにして、放棄する親に私はなりたくない。本人が責任を感じ、責任を持って行動するのは当たり前のことである。でも、親はすべてを承知の上で、そこに幼い頃、子供の土台を作ることに、親が大きく関わり、非常に強く影響していることを、一生忘れてはならない。