同じように育てても、そうなる子とならない子がいる。犯罪をおかしてしまう人と、葛藤を抱えながらも頑張って立派に生きていく人がいる。その違いについて皆さんはどう思いますか?その子だけの責任でしょうか?それがすべてだと思いますか?
 どんな親に育てられても、葛藤と闘いながら、頑張って自分の結婚相手や子供と向き合っている人もたくさんいる。そういった人は、尊敬すべき相手だと思うし、そういう姿は感動的でもある。大変な作業だからだ。
 では、それはその人が強いから?それまで出会ってきた人や環境を生かしてくることができたから?それももちろんあるだろう。しかし、それだけではない。つまり、親の接し方以外で、外の世界だけでその人が変われたのだろうか?
 私が考える大きな部分として、「親との相性」がある。親との相性の中に、その人の気質がある。生まれもったものだ。つまり、生まれた時から持っている「種」である。親から譲り受けた物もあれば、親戚や、遠い祖先からかもしれない。親の持っていないものもあるだろう。それは、幼ければ幼いほど、気質は、無防備で露わに出る。親はその気質について、嬉しかったり、対処しきれなかったりするだろう。悩んだりしながら、でもこれがこの子なのだとわかっていく。
 しかし、わかってあげられない親は、「正しく直そう」とする。
 ……じゃあ。「正しい」って何ですか?
 正しければ何を言っても良いんでしょうか?どういう言い方でどんな風に言っても良いと思いますか?
 まず個人的にnoです。そして、個人的にじゃなくてもnoです。
 親にとっての真実、自分にとっての真実はさておき、相手の「気持ち」に沿わなくてはいけない場面が多々ある。それによって、お互いを理解できることはたくさんある。すべてのことにおいて、100%正しいと言えるだろうか?自分が「正しい」と信じていても、1%違う可能性もある。1%は、時に広がる。気が付いたら、その割合が逆転していることもある。自分が正しいと思っていることを、相手の気持ちも考えずにただ声高に主張するのは、押しつけである。議論の場を作るべきなのに、そういった場がなく、ただ自分が正しい、と主張して終わり。それでは、賛同を得られなかったり反発されたりするだけでなく、相手の気持ちを傷つけることが多い。(親子関係だけではない。大人同士のことでもある!) 親が、正しいと思うからと直そうとしたことが、子供をひどく傷つけている場合がある。そんなことまで構っていられない?かまう気持ちの余裕を作る。時間的、体力的なことではありません。そりゃ時間的体力的に余裕がないと、気持ち的にも余裕はできないけれど、でも、フリだけでも良い。子供のボスでいるために、親は、子供のために向き合う勇気を持つ。それが親です。別に「手の届かない理想」なんかじゃない。子供を持った使命です。
 何か自分にとって良くないことをした人。もっと言えば、犯罪をおかした人。それについて、「その人が間違っていた」「その人が弱かった」が、すべてではないと私は言いたい。
 親は、子供がどんなに歳を重ねても、自分の子育てを振り返り、大いに反省するべきなのだ。又、周りの人はそのことに関してを、今一度、考えるべきである。
 この人がこうなったのは、どういう背景があってのことなのか。その背景を探っても、その人の弱さがあったのは確かだろう。何度も立ち直れるチャンスはあっただろう。
 しかし、何度も書くが、それがすべてではない。