でも、息子のことを感心はするけど、特別にスゴイわけではないらしい。
 先日、小学生の論文めいた物で、賞を取ったという内容を見た。それはそれはすごかった。息子より一つ上なだけなのに、一つの、実体験からくる疑問から、あらゆることに感動しながら、実験を繰り返し、その実験から、新たに要求される知識もどんどん広めて書いている。あれもこれも調べなくちゃ、この疑問に対する結論にはたどりつかないのではと、あらゆる分野に知識を広げている。字も丁寧で読みやすい。本当に感心した。
 しかしそれを見て、もしかしたら、ある程度、息子のことをわかってあげることができたら、息子に自分との共通点を見出していれば、もっと息子の良い面を引き出し、もう少しラクに付き合えるかもしれない、と思った。息子の好奇心に対しても、へぇ不思議だね!と本気で思ったり、感動したり、一緒に話をすることができれば、息子はもっと違う風になったかもしれない。もっと面白く、知識を広げることができたかもしれない。いやそれより、もっと息子も意思の伝達がラクにできるかもしれない。
 と、考えたくなるのが親心。でも、この親を持ってしまったんだから仕方がない。
 ごめんねと、自分が息子のレベルを下げているのではと思いつつ、息子にそんなことも知らないのと言われるのもまたちょっと腹が立ってしまう。
 私は、少なくとも、息子とは違う分野で興味を持ち、感動を持った。正直、数字なんてどうでも良いと思っている。人の心とか感性とか感覚とか、そっちの方が私にとっては大事なのだ。いや、もちろんそれは「私にとって」の話で、世の中こんな人ばかりになれば、とても困ったことにもなるだろう。
 ここは、一つ、お互いを尊重し合おうではないか。
 と、言いたいところだが、どうも、理数系に関して、私は下に見られている。いや、レベルは低いから仕方ないんだけど、人間的にまで下に見られる筋合いはない。私の感覚とか感性とか、違った方面での好奇心を、我が家の男どもは、理解してくれなーい!!と、私は思っている。私からしたら、二人は自覚はないだろうけど、ガチガチの理数系な頭で、柔軟性に欠けている。でも、そこが男らしくて気に入っているのだから、その妻であり、その母親である立場は、受け入れなくてはならない。その葛藤たるや。
 まあ、私は私で、ひっそりと自分を誉めていよう。自分の気に入った人とは、丁寧に向き合いたい性格。丁寧に、そして筆順にも気をつけながら字を書きたいタイプ。納得しないと、全然、次に進めない頑固なところ(あれっ誉めたい部分の話だよね?)。心を動かされ、命に感動する気持ち。その場その場で何とか切り抜けていくところ。誰にもこういうところを誉められないので、自分で誉めておこう。
 息子のことを書きながら、自分のことを振り返らずにはいられない内容となりました。
 小学三年生の息子。これから、どんどん記憶がハッキリしている「当時」の自分と、つい比べたり重ねたりしてしまうことが増えていくことだろう。その度に、葛藤も起こると思われる。「私はこんなじゃなかったなあ」が大半だろうから、そのうち私も慣れることができると良いな。この子は私とは、性別を超えた人間性からして違うんだと。