そしてもう一つ、理数系と文系を分けるのに意味がない、そんな分け方はないと思っている人に、私はそうは思っていない理由がある。息子を見ていて、自分の「文系」的な面を、イヤというほど感じさせられるからだ。
 例えば、宇宙のことで、星座に興味を持つから、ギリシャ神話を、と思った時に拒否される。私が小学校三年生なら、むしろ「星座に興味ないなら、ギリシャ神話から入ろうか」ってタイプだ。
 私には、何度も本を読みあさった記憶がある。
 一番最初の記憶は、6歳頃、アメリカで、「マンガ日本昔話」が、友達の家にあり、友達の部屋で、黙々と何冊も何冊も読みあさった。遊びもしないで何だか申し訳ないと思いつつ、止められなかった。それからも本好きは続く。
 次の記憶は、三年生か四年生の頃だったか、母が片っ端から推薦図書を買ってきた時、どれか興味を持てればと思ったらしいのだが、私は全部を、文字通り「読みあさった」。
 さらに、よく風邪をひいて学校を休み、ベッドに横になっているだけのことが多かったので、あまり手をつけない人も多いであろう、当時流行った「少年少女世界文学全集」を、それもまた「読みあさった」。ほぼ読破である。もちろんそれだけではない、他の本も次々と読んだ。
 その次は、高校生の頃に、文学少年とか文学少女がハマるような、太宰治とか芥川龍之介山本周五郎とかの本を読みあさった。「○○文庫の100冊」と紹介された物も読破しようとしたが、それはさすがに好き嫌いがあって、退屈と思ってしまう本もあり、あきらめた。友人の中にはもっと「文学少女」を極めた感じの子もいて、私よりたくさんの文学を読み、たくさんの知識があったけどね!
 話を少し戻せば、ギリシャ神話も読んだ。
 息子はまだ小学校三年生で、テストはどの教科も、簡単ではあるけど、国語の文章問題でちょくちょくつまずく。コツがわかっていないというのもあるが、それにしても、これの解答を探し出せないの?と、時々驚く。本人のプライドがいたく傷つけられるようなので、そんな言い方はしないけど。それに引き換え、算数は、小さなミス以外は、大体全部あっているし、たくさんの数字が並んだ計算も嬉々として臨む。数が大きければ大きいほど、嬉しいらしい。文章問題のややこしさも、苦にしない。そこは国語力では?と思うのだが、特に抵抗はないらしい。理科も、好きな分野じゃなくても、点数を採る。
 数字にはやはり、私にはない執着心を見せる。何か数字が並んでいたらその規則性を発見したり、無理矢理規則を当てはめて笑っていたり。とにかく数字が出ていたら「なになに、どれどれ」といった感じで首を突っ込んできて、それをまたいつまでも覚えている。ちょっとやっぱり脳の発達が偏っているんじゃないかなとやはり心配になるくらいだ。でも、否定はせず、受け入れてはいるけど。数字に関する質問も、私は思いつかないようなことを聞いてきたりする。私が最も苦手としていた単位も、全然問題にしていない。そのひらめきだとか理解力だとかを見て、センスが違うんだと思わせられる。
 なので、文系とか理数系とかって言ったら、そんな区別はしなくて良いって思うかもしれないけど、息子には理数に関してセンスがあると思うし、文学とかそういったことに関しては、当時の私よりセンスがないなあと思わせられる。