理数系、文系と、分けるのは意味がないと言われている。そりゃ、ここで書いたような「猫派?犬派?」くらい、どっちでも良いような、どちらでもない、どちらでもあるといったような……ある程度、極めている人は、どちらもできるので、確かにそんな区別は必要もないし、どちらも興味ある人が、自分の道も極められるんだろうなと思う。
 しかしです。
 ある程度、極めている人にはわからないんだよう、と私はそんな気持ちも持っています。
 そして、私は理数系の物が苦手であったことも、あまりにも明らかであったからだ。小学生のうちは、中学受験のための塾に通っていたので、学校の中では、どれをとっても成績が良かったが、塾の中での私は得手不得手がものすごくハッキリ出ていた。全国テストでも、国語は一流中学レベルなのに、算数になるといつも下である。5年生頃から算数は際立って苦手だった。特に文章問題。○○算なるものが山のようにあって、それがすごく苦手であった。帰国子女で、1〜2年生の頃、「りんごとみかんがどうやって合わさるの?」とか言っていたような、そういう日本語的な問題もあったし、数字に興味がない、たくさん数字が並んでくるとものすごく面倒くさくなってやる気を失ってしまう。けど、今思えば、それだけじゃない、私の頭の中にも問題があったのだ。りんごとみかんを合わせる様子を思い浮かべようとしてしまうからおかしくなる。つまり、算数の文章問題の文章に気を取られ過ぎるのだ。その状態を想像しようと、つい脳が先走るので、問題を解くより前に、その文章を頭の中で思い浮かべることに躍起になって、問題どころではなくなってしまう。つるかめ算なら、つるとかめを実際に頭の中で思い浮かべてしまう。植木算なら、木が何本も並んでいる様子を。通過算なら、電車がすれ違う絵を頭の中に思い浮かべる。その絵にはワクワクするけど、そこに数字が入ってくる意味がわからない。そう、意味を考えてしまうのだ。ちょっとおかしいと思いませんか?(笑)私も、偏っているんですね。
 単位もすごく嫌いだった。息子は、幼稚園の頃から単位を理解していたが、私は小学四年生頃から出てきた単位に混乱した。そもそも、硬貨でさえ、全部1円で良いと思っていたくらいの私だ。1メートルが100センチということくらいはわかるけど、そういったことを始め、あらゆる単位を覚えなければいけないので混乱したし、その頃の私は、何故そういう風にメートルをセンチでわざわざ表さなくてはいけないのかと理由がよくわからなかった。「理由」なんていらないのに。私の世界って、狭かったんですね。そのせいで苦手意識ができて、大きな数字が面倒な私は、0がたくさん並ぶと何だか覚える気が失せてしまうのだった。
 中学生の途中からは、理科も苦手になった。化学、物理が加わってきて、どうして目に見えたり見えなかったりする物質に、記号や数字が入ってきちゃうの?と混乱した。物は物でしか見れないよ〜!想像ができないよ〜!と苦しんだ。何故そんなことが計算で表せるのか、計算で表すと、何がわかるのか、それがわかると、だからどうなの?といったところだ。まだテコとか滑車とかの方が、重さなど想像できて理解ができる。
 息子は、物理とか数字とか化学とか、そういったことに対して、まったく抵抗がなく、すっと会話の中に入れてくる。むしろ好んでやっている。
 男の子と女の子の違いはあるだろうけど、それにしてもだ。何もここまで違わなくても、私の偏ったところと、息子の偏ったところが、全然違う。