約一年前から考え始めたことに、とりあえず、自分で納得できる答えを出した。これからも揺れることはあるけど、自分を眺めるということが、以前より客観的にできるようになったと思う。
 大事にしたいことが、表現方法だったということもよくわかったし、これからも、それが私の生きていく上での大事なテーマとなるだろう。書くこと、そして人の心が大事だと思っていること。そして、その時に、思いを馳せるのは、子供たちの心である。言葉を発せない乳児期。発しても伝えきれない幼児期。言葉を使いこなしても、上手に伝えられずにもどかしい学童期。そしてきっと、発したくなくなる思春期。
 言葉って本当に大事です。凶器にもなるし、気持ちを救ったり支えにもなる。一つの言葉に傷つき、一つの言葉に涙が出るほど喜び、感情が揺れる。子供たちは、まだまだ言葉を自在に操れない。操れるようになっても、勇気が出なかったり、下手だったり、クセだったり、素直になれなかったり、プライドが邪魔したり、もちろん大人になってからも、言葉による葛藤は幾らでも出てくるけど、まだ自由な感じがしますね。自分の意志でどうにかなる場面も子供の頃より随分増えると思うし。なので、本当は、子供たちの心が一番気にかかっています。子供たちがホッとできたり、感情を素直に発散させる瞬間があってほしい。そのためには、大人が、子供たちから発散する機会までをも奪ってほしくない。自分にもそれを戒めなくちゃと思う。
 息子を見ていて、一人で奮闘して、外であらゆる体験をしてきて、緊張したり腹が立ったり疲れたり嫌な思いをしたり、その後で、家庭でも頑張りを要求しすぎてはいけないなと思う。頑張っている子供を、時にはねぎらいたい。うっとうしくなることもあるけど、時には、子供の全面的な味方になって話を聞いてやりたい。
 そして、地震を通じて思ったのは、大人も頑張っているということを見せたいということだ。大人も苦しい。悲しい。大人だって辛いし、泣く。だけど、色々あるけれど、小さなことでも嬉しいことはある。笑ったり喜んだりしながら、愚痴言いながらでも、頑張れるんだよ、それが未来につながるんだと教えてやりたい。残酷な地震津波や、原発事故があって、避難するにしても、その場に居続けるにしても、どんな手段でも、何らかの対策をとり、強く生きていくということ、意外と大人は頑張るんだよというところを見せてやりたい。アナタたちのために、未来を作ってあげたいと思う気持ちが強くなりました。
 とりあえずの足がかりとして、メンタルケアアドバイザーの通信講座を始めている。通信講座なんて……と、以前通信講座のお世話になり、一時的に知識を得たものの大して身につかなかったことに対して、少々軽く見ていたが、これがなかなかバカにはできません。ちょっと難しいけど、それを上回る面白さがあるので、続いています。身についたものを、いつかここに書けると良いなと思っています。
 「中年以降の女性の役割って何だろう?」という疑問に対して、出た答えがこんな感じです。女性的なもの、考え以上に、自分の表現方法が大切だと感じた。私はこんな風に自分を表現していきましょう、と結論付けました。それが自分の表情をつくり、ファッションをつくり、つまり外側の印象にもつながる。まあ当分、これでウダウダ考え迷い、葛藤しないで済むだろう(笑)。そう簡単に「二度と考えなくて良い!」ということではないだろうけど、今の私にはこれが精一杯の答えだと思う。考え始める前より、大して考え方自体は変わっていないけど、今は実感を持って、そういう考え方ができるようになった。