アラフォーと呼ばれる世代、真っ只中にいる私が、若くはないと自覚した時、中年以降の女性の生き方を考えさせられた。それは、私の今後の生きる道筋を考えることであった。
 決まった道筋はつけたくないけど、ある程度、自分の場所を確かめ、歩く方向を決めておきたかった。
 女性として、ある程度ちやほやされてきた自分、それから女性であることを楽しみ、喜びを見出してきた自分、そこから体力的なこと、外見的なことに限界を感じてきた。その時に、私は何なのだろうとふと思った。どう生きてきたのだろう。これからどう生きていくのだろう。
 人に役割があることにも気付いた。それは、人があっての受け身の役割ではなくて、自分を中心に考えての、能動的な役割。周りとの関わり。
 体力や気持ちのエネルギーがあまりなく、軟弱な体質を持ち、好き嫌いが強く、したいことしたくないことがハッキリしていて、一人の時間が大好き、マイペースを保てる環境に安らぎを覚える、そんな私が、できることって何か。何をしたいのか。
 どういう私になりたいのか、何をしたいのかを考えることは、自分の目指す人間を見つけることでもあった。それは、河合隼雄の言う「‘自我実現’ではなく‘自己実現’への道」であった。どういう地位にいるか、どんな仕事をしているかは、実は‘自我実現’という問題で、世間でよく言われている‘自己実現’は、実は肩書ではなく、その内容である。どんな私であるかは、人からの評価ではなく、自分が「私はこういう考えをする人間」で「どんな風に日々暮らしているか」「自分をどう表現するか」という客観視できる自分。客観視できると、人に自分についての話ができる。そしてそれこそが、自分がどんな風に生きていくか、信念や思想にもつながる本当の意味での自己実現という意味であると私は受け取った。
 そこから現実的に、当面できることを考えた。こんな私が社会での役割を考えた時、子供と関わること、学校と関わること、先生と関わること、が、まず大事だと気付いた。それは、役員になったり、積極的に学校に働きかけたり、というほどのことでなくても良い。ただ、機会があれば、それは生かしましょうよ、といった程度のことである。コミュニケートを取り続けましょう。それは、子供に何かあった時に、親同士のネットワークで、助け合えるかもしれないし、子供のことで何か相談されることがあれば、専門家とつなぐ役割ができるかもしれない。先生のことで何か言いたいことがあった時に、先生に言いやすいように、普段、機会があればコミュニケートを取っておく。色々な感情はあるけれど、表面的でも良いから、とりあえずそのネットワークを保っておくことである。それによって、一人でも子供の「気持ち」が救われるかもしれないのだ。
 子供が大きくなって、自分から離れていくと、その時はその時で、また人と関わりながら、何らかの役割を見つけていくと思う。私はそのために、表現力を磨いて、人と人をつなぐ役割をさらに少しずつステップアップしていきたいものです。