今の世の中、専門家など、ストレスや悩み、考え事に関して、そういう人が必要とされている、と自覚している人は、まだまだ少ない気がする。私は必要だと思うんだけどねえ。子供のことで悩み、自分の不安で悩むために子供に影響している多くのお母さんたちの支えになりたいと思うのだが、私に何ができるのだろう。
 震災で心をいためた老若男女問わず皆に対して、そこまで私はあらゆる人の心に専門的にはなれないだろう。
 では何がしたいのだ、誰を支えたいのだ、家族や親友たちかな?もちろんその気持ちが一番強い。相手にとって、的確な言葉が出てきたら(それは相手の反応で初めて、的確かそうでなかったかわかるのだが)ああ良かったと思う。大人に対しては、その心を支える手伝いをしたいという気持ちはあるが、子供の成長にも強く興味が持っている。子供を支えるための大人の心が健康でないといけないので、その大人とも話さなければと思う。
 今回の震災でも、心に傷を負った子が山のようにいる。
 親を亡くした子供たち。両方の親を亡くした子供たちだけでなく、どちらかを失った子供たち。親子バラバラに暮らさなければいけなくなった子供たち。家を失った子供たち。街を失った子供たち。友達を失った子供たち。治癒する場が必要である。専門のカウンセラーや情熱と正義感のある大人たち、年上の人たちが当たらなければいけないと思う。
 ただですね、私が非常に心配しているのは、それだけではない。何も失っていないのに、心に傷を負っている子供たちのことである。彼ら彼女らには、何も失っていないのだから、周りはさほど心配していないということが、私には心配なのだ。
 知り合いの中で、親が今後のことを心配し過ぎて、子供があらゆる感情を我慢してしまっている、というパターンがある。私はそのことがいたたまれない。子供の心配をしているようで、実は子供を目いっぱい犠牲にしているのだ。そういう人たちに子供の話をすると「私はそれどころじゃない」と言う。だから、親の心のケアにも当たらないといけないのが本当で、そこも専門家の介入が必要になってくる。
 子供がSOSを発しているのに、親がそれどころではない時、子供はどうしたら良いのか。感情をどう発散させるのか。はけ口がない。学校でも家庭でも、子供が自分の感情を我慢している時。それが積もり積もっていくと、どうなるのか。長年に渡るとどうなるのか。
 うまく発散する訓練を幼い頃からしている子供は大丈夫だ。言葉にはできなくても、泣くなり喚くなり、体調不良なり、すぐに出てくる。でもそうではない子供は、なかなか表にあらわれず、あらわれたと思ったら、その頃には、解決の難しい問題行動となっている。その子供たちのことが、私は心配でならず、しかも、何もできない手を差し伸べられない自分が無力であることを痛感し、悲しくてならない。
 何故私は大丈夫なのかと思った時に、私は心が強いからと言われることがあるが、そんな私もあらゆる人に支えられている。支えられていると実感して初めて人を支えられる。
 どんな人、大人も子供も、誰かに支えられているから、心が強くいられる。子供は、親が「それどころじゃない」時、何を支えにすれば良いのだろう。気持ちを話せるような友達がいなかったら。打ちこめるような習い事や好きなことがなかったら……。そういった子供たち、そしてできれば大人たちを専門家につなげる。そのために、何ができるのか??まずは、それを探ることが当面の私の「できること」である。