以前から思っているのが、学校に「スクールカウンセラー」というのがいるが、そういう専門家につなぐ役割の人がいれば良いのにということだ。「スクールソーシャルワーカー」というのがあるそうだが、そういうもので、もっと気軽な感じ……気軽になれて、気軽に声をかけられる人が身近にいれば良いのに、と思う。学校側に、何か問題が起きた時の面倒なことを嫌う所が多いので、なかなか実現には至らないようだけど。
 保健室の先生がいると思われる人もいるだろうが、保健室の先生の中にも思慮の足りない人はたくさんいて、威圧的な人や押しつけがましい人もいるし、すぐに親のせいだと短絡的に結論付ける人もいる。現代社会の親のしつけがどうの、といったいつもの台詞。あれじゃあ子供の心のことなんて、全然知識がないも同然だと言いたくなる人もいる。以前、関根勤が言っていた「補助先生」というのがいれば良いのになと思う。
 私は、自分の経験や、色々な問題が起きると「自分が納得できるように解消したい」という気持ちが強いところから、心療内科だとかカウンセラーだとかに、あまり抵抗がない。でも、カウンセラーに相談するには、経済的なことだけでなく、気持ちとしての敷居が高いという人はたくさんいる。スクールカウンセラーにしてもそうだ。私だって迷うことは多々。担任をさしおいて、相談しに行くのはいかがなものかと思うこともある。相談するほどのことでもないのではと思うこともある。小さなことだからと、できるだけ自分で解決するように頑張る。もちろんその気持ちも大切だろう。ただ、発達や心理に関しての専門的な知識は必要だと思っている。印象とか外側から見た感じとかではなく、心の構造やそれによるこちらの気の持ち方も知りたいと思う。学校の先生はやはり、管理する側なので、そういう考え方ナシで、子供の発達を話せる相手はどうしても必要だ。
 明らかに「専門家に相談してみた方が良い」と思うタイプの悩みを、知り合いに相談されることがある。そんな時、橋渡しのような役割はするが、そういう相談相手のいない人は、自己流で処理しようとして、もっと大きな問題になったりすることがある。或いは、私が「専門家に相談してみた方が良い」と勧めても「それほどではない」「自分とは関係ない」と、急に尻込みしてしまい、明らかに問題を「ただ先送りしただけ」の人も結構いる。
 そういう時に、ああもったいないなと思うのだ。せっかく私のような他人に話す気になったのだから、もうちょっと、あと一押しで、またその問題は次のステップに行けるのに、ただ私に言って終わる。それで満足しているわけではないのも手に取るようにわかるのに。もう良いやとあきらめて考えないようにしているだけなのもお見通しなのに。仕方がないので、私が分け得る知識を精一杯絞り出して、色々話すけど、正直、私の知識も経験も、たかだか知れているのだ。さらに、近所の人だったり、中途半端に知り合いだったりして、私も遠慮しながらしか言えないことも多い。専門家じゃないから、うまく話を引き出す技術もないし、つい感情的になってしまって、傾聴する技術もない。こういう考え方はどうかな、そういう時にはこう考えるとどうかな、などといった提案なんかのひらめきも少ない方だ。そんなの、私の夫や親友たちの方がよっぽど優れているくらいである。感心している場合じゃないけど、彼ら彼女らの方が、余程様々な視点で物事を見ることができたり、ひらめきがある。
 専門家と、担任の先生とかの間には、すごく開きがある。学校の先生は、生徒の心、親子のあらゆるケースに触れる経験はあるだろうけど、人の心の専門家ではない。だから、私を含め、誰かが橋渡しできれば良いと思う。