丁度、中年である自分の立場を実感し、女性であることとは何かを考えていたところである。女性であることは何か、は、自分の今後の生き方にも通じると思い始めていた。
 「人の心の支えになりたい」という漠然とした思いは、あまりにも漠然とし過ぎていて、今まで自分が本気でなかったことが露呈してしまった。何をするのが好きなのかはハッキリしている。地震の後でも、私は考えたがり、文を書きたがった。特に人に手紙を書きたくて仕方なくなって、たくさんハガキや手紙を書いた。メールだけじゃなく。自分で考えたことや気持ちを、長々とつづりたかった。ここに、地震についての自分の気持ちを載せようと思ったのは、人のブログを見ていて判断したことである。
 普段、こまめにブログを更新している人に限り、の話だが、地震の後、色々思っているに関わらず、あえてブログを更新しない人が、私にはズルく感じてしまった。きっと色々感じているはずだ。普段のブログでも、ちょっとその文の端に、今回の地震で感じたことが垣間見えてほしいと思ったのだ。
 いつも色々言葉数多く書いているのに、地震が起きた後、自分が感じたことを発信しないのは寂しいじゃないか。 
 とにかく、私のこんなページでも、読んでくれている人は少しはいるようだから、私が今何を感じているのか、書かなければという思いで書いた。何とかまとめたけど、書きたくないような書き足りないような、奇妙な感じで書き続けていた。
 でも、幾ら書いても、趣味の域を超えない文章能力。それは、野望がないからなのだろうか。文をどうにかしたいという気持ちがない。ただ、次から次へと浮かんでくるから書かずにはいられない。気持ちが整理されるのが嬉しい。この作業がすごく楽しくて好き。ただそれだけなのだ。これをどうにか生かそうとか、そういうのがないんですよね。
 私が社会とつながり、貢献したいと思う時、それは人の心について考える時なのだ。
 で、初めてそういう本を手にとって15年。阪神大震災をきっかけに、色々人の心について思ったのに、何もできずにいる自分が悲しくなった。
 母に訴えた。そうしたら「それだけ色々わかったのはすごいことじゃない。積み重ねてきたからでしょ。」と言ってくれて、少し嬉しかった。そうか、何も読まず勉強しなかったら、やっぱりわからいことが多かったなと思う。
 夫に訴えた。「近所の人を支えるのは難しいと知ったけど、そうしたら結局誰にも何もできない。」と言うと、一人、心療内科に行かせたことが成果じゃないかと言ってくれた。極度に不安がる彼女が、とても正常には見えずに、心療内科を勧めた。私には支え切れないと判断した時、心療内科行きを勧め、彼女が心にある何について質問したら良いかを具体的に探り出し、時々提案した。それで一つの大きな成果ではないかと。そして、もし16年経っても何もできていないと感じるなら、さらに今から16年後に、何か一つでも、今よりできるようになっていたら良いのではないかと言う。
 確かに、今から16年後って、56歳。56歳でも遅くない。そう思えたのは、先人たちのおかげである。私が、文を書く人として尊敬している谷川俊太郎は、今年80だ。言葉を使っての表現者として尊敬している糸井重里は60超えている。他に、80になっても自分で考え、自分の言葉を探りながら喋る吉本隆明80歳を超えている。アンパンマンの作者、やなせたかしに至っては90歳。アンパンマンが大ヒットしたのは、彼が70前後の時らしい。
 56歳なんて、まだまだ大丈夫。元気な盛りなはず。