私の小学校三年生時代を書き連ねてしまいましたが、当時、私は好きな男の子もいたし、友達とそんなことを言い合うこともありました。
 そうそう、マンガ雑誌も買っていて、その付録に付いていた歌謡曲の歌詞も楽しかった覚えがある。当時は寺尾聡の「ルビーの指輪」が流行っていて、歌詞の意味もよくわからずに、覚えられるのが嬉しくて歌っていました。ドリフのヒゲダンスも好きで、よくテレビの前で一緒になって踊り、真似していたし、「からすの勝手でしょ」ってよく歌ってました。漫才ブームもあったけど、何より漫才で話している日本語が聞きとれることが嬉しくて、さらにそれに対して笑えることが楽しかった。
 女の子って、当時から、女性の作るコミュニティーにもまれて生活するんですよね。仲良しがいて、グループがあって、クラスの中で何となく派閥的なものができている。
 それに引き換え、男の子は、わーっと何となく皆がただよっていて、仲良しや一緒に遊ぶ友達はそれぞれの子供によって、区別しているようだけど、でも、よくまぜこぜになって、遊んでいる。同い年なのに、「男の子って、子供っぽくて無邪気で、可愛いな」と母性本能がくすぐられていた。
 小学二年生までは、アメリカの名残もあり、先生のおかげもり、男の子より強い立場にいることも多かった私だけど、それでも「男の子は可愛いな」と思っていた。無邪気に何でも聞いてくるし、思ったことを発言するし、時々おどけて、それでいて、時々優しい包容力を見せたりするので、やっぱり私は女の子で良かった、と思っていた。それは、異性として、恋愛できるからであり、のちには結婚できるからということまで考えていました。そう、小学生の頃から、いや、幼稚園の頃から、そういう考えはありました。でも、自分が女の子であるということは、女の社会でも生きていかなければいけない、そのコミュニティーもある程度大事にしないと、日々の暮らしをうまくやっていけないということには、頭が働きませんで、うっかりしていました(笑)。そこは、正直ずっと悩みの種でした。
 なので、中学生〜女子校に行ったことは、私にとって、本当に恵まれて、幸せだったと思う。女子同士の付き合いを知り、皆が女子だから、色々余計なことを考えずに、皆が男の役割も女の役割もする。「女だから」という考えがむしろ少ないんですよね。しっかり人を引っ張るのも女子だし、クラスで笑いを取るのも女子、気がきかなくても気がきいても、お嬢様同士なので、笑って終わり。そういった学校に通う子たちは、それはそれでやっぱりちょっと特殊ではあったかもしれないけど、それなりのコミュニティーを学んだし、女子同士の、信頼して良い距離感のようなものを知った。
 でも、小学三年生の頃の私は、ただただ女の子は、仲良し以外はうっとうしかった。今もそっちの方が近いかも。結局私は本質的にそうなのだろう。気が合う人以外は、面倒くさい。特に女子は、仲が良くもないのに、ベタベタしたがる人が多いからだ。それと比べると小学生男子は、もっと関係が気楽そうだ。
 息子を見ていて、当時の私が抱えていたような葛藤は、あまり感じられない。当時の私が「男の子は無邪気で良いな」と思っていた男子そのままのようなタイプの子。思ったことを発言したり、感情表現が豊かでストレートで、そして時々優しくなる。女の子は眼中にない。男の子同士で、ファンタジーを生きていたりする。羨ましいです。日々が楽しそうでね。
 宿題は大嫌いだけどね(苦笑)。