息子は、小学校三年生になった。
 このエッセーを書き始めたのが、息子が幼稚園年少の頃だったか。考えたらもう6年位経っているのか!年月の流れる早さはすごいなあ。まだまだ書きたいこと、書きたいテーマは湧いて出てくる。
 心で色々感じたり、考えたりすることが好きです。それを言語化して自分の頭を整理していく作業はとても気持ちが良い、というか、ストレス解消です。もっと文才があれば、とか、ファンタジーがあればとか、足りないことに目がいくことは多々あるけれど、今の私は、日々、自分の考えをまとめていくことで、精一杯です。書く文の量についても、時間についても、一日の中で、これが精一杯。
 あっ。息子が三年生になった話ね(笑)。
 そう。三年生なんです!少しずつ、息子に物ごころがつき始めているなとか、このことは記憶に残っていくんだろうなと思っていたけど、三年生って、最近や〜ん!いや、30年以上前だけど。でも、あまりにも鮮明に覚えている。どんな先生で、どんな子がクラスにいて、どんな下校で、ウチの中でどんなだったか。
 一年生の途中で帰国子女として、日本の学校に入学した私は、文化の違いを、考え方の違い、言葉の使い方の違い、振る舞い方の違い、というレベルから感じていた。あらゆることを比べて、自分を否定する作業に余念がなかった。そして、三年生になる頃に、市内の別の小学校に転校した。これは、兄がそちらの中学に入学するための引っ越しだったらしい。へーそうだったんだ!と最近知った話です。
 引っ越し当日は、母が体調悪くて、父と兄と三人、まだ荷物が届いていないマンションの一室で、ムーミンの絵柄がついたアルミの弁当箱を三人でそれぞれに黙々とつついた。お母さんいたら、楽しくにぎやかなのになあと思いながら。
 学校に行き始めると、アメリカでの習慣だけでなく、前の学校の習慣も顔をのぞかせてしまうので、なかなか慣れなかった。でも、四年生の時にイジメられたものの、三年生の時はそこそこ楽しく過ごしていた。特に、一人、近所で親しい友達がいて、下校時にその子が、上手なマンガを見せてくれて、マンションのロビー近くで、たくさん時間を過ごし、いつもふわ〜んとした気分になっていた。
 日本ではあまり誉められない絵が、偶然認められて、廊下に貼り出されたことがあった。色とりどりの風船の絵だった覚えがある。次も、狙って同じような絵を描いたけど、それは対象から外れた(笑)。
 クリスマスツリーを飾り、先生に言ったら、クラスの子たちと一緒に見に来てくれた。
 母は、マンションのスケールに慣れなくて、あちこちに尋常でない打ち身をつくっていた。
 前の家では、兄と一緒の部屋で遊んだり寝たりしていたので、急に兄が遠くなったように感じた。それでも時々、以前遊んでいた時に使っていたレゴはそのままかとチェックが入り(笑)それを見せたりすることもあった。兄が中学生になったこともあって、一気に一人遊びが増えたし、寂しかったけど、父と母は、アメリカに住んでいた時のように、ゆったり私に向き合っているように感じて、楽しいマンション生活だった。
 しかしです。そうやって、色々あった中で、アメリカのことや前の学校のこと、文化というものをいつも強く意識していて、対人関係には、ひどく臆病でもありました。