外見的なことについては、ちょこちょこ「こんな風になっていきたい」ということを発見し、書いてきたけど、内面的なことに関して、まだまだ深く、考えずにはいられない。
 どうしても主張したいのが、中年にさしかかる頃の心の揺れは、なかなか強いものがある。それについて、もっと色々な本が出ていて良いと思う。
 仕事での立場、男女間の恋愛感情、夫婦間のこと、子供にとっての親としての立場、親の介護などで、翻弄される年頃でもある。もっと議論が活発に行われてほしい。自虐ネタは笑えるし、嫌いじゃない。面白い。でも、本当のところはどうなのだと、辛辣にせまる内容の本がほしい。私にそれだけ書く技量があれば、また、それを研究する情熱とエネルギーがあれば良いのかもしれないけどさ。
 外見的なことも、そうやって一度、自分なりの考えは出てきたものの、一つ、そういえばと、思い出したことがある。
 大学生の頃だったか、テレビのコマーシャルで、「気にするのは、男性の視線か、女性の視線か」といったようなことを問いかけていた。ダイエットのCMだったか。忘れてしまったが、その問いかけは、若かりし頃の私には、なかなか考えさせられるものがあった。
 そうか。そうだよな。特に中学から、ずっと女子校、女子大である私は、確かに、女性の視線の方が気になっているのかもしれない。「好きな男の子に振り向いてもらいたい、それにはどんな格好にすれば良いんだろう。」とか、雑誌を見たりはしていたけど、でも、そう問いかけられると、自分の好きな男の子の、ファッションの好みなんて、結局よくわからなかった。雑誌を見ても、人それぞれだし、雑誌の写真だけを見て、好みのタイプの人が「こんな格好が好き」と言ったところで、実際に自分の好きな人が、その格好が好きとは限らない。なーんだ、じゃあ自分の好きな格好すれば良いじゃないか。
 しかも、当時好きだった男の子に、ファッションについて、口出しをされ、猛烈に反発を感じた。なんだよ、私はオマエの着せ替え人形じゃないぞ。内心毒づいた。もちろん、それだけが原因ではないのだが、その彼が嫌いになってから、彼とどこかでバッタリ会っても、自分の好きな格好して、当時の私とは全然違う雰囲気でびっくりしようが、涼しい顔して通り過ぎてやると、長い間、腹を立て、そんな風に思い続けていた。私の中の、ちょっとしつこい一面(笑)。
 まあ、私のファッションの好みなんて、少しずつ周りを見ながら、自分に合うのや、色のセンスに信念を持ちながら自分なりに考えてきたので、色々こだわりはあるけど、別に大したものでもない。でも、何が良いかわからない、とは思ったこともない。自分の好みと、今日行く場所によってや、会う人によって、相手にどう思われるか、考えながら選ぶ。それくらい。ただ、「会う人」の大半は、もう中学生の頃から女なのだ。そうすると、会った時に、どう思われるか、という対象は、女性になる。つまり、日常生活の大半が、女性の視線を意識しているということになる。