大学生の頃、キャンプのリーダーのボランティアというものを経験した。
 ボランティアというものに初めて首を突っ込んでみた。最初は親しい友人も一緒に寝泊まりすることが楽しかったり、夢中でその場を過ごしていた。でも、しばらくすると、段々周りが見えてきた。
 私は機転がきく方ではないし、子供がいる今でさえかなりののんびり屋だが、大学生の頃はもっとスゴかった。でも、当時の自分をフォローしたいので言わせてもらうが、若い頃の女の子って、そのくらいで良いと思う。そのボランティアの団体に入って活躍している人は、シャキシャキ仕事をするタイプだった。積極的に前に出られるタイプでない子でも、しっかり仕事を覚えて、役に立っていた。私は、興味がないことは、本当に覚えが悪いし、覚える気もほとんどないので、なかなか何をどうするのか、仕事の手順が覚えられない。一度聞いたことでも、何度も聞いてしまうし、何故そうするのか、理屈がわからないと、頭に入ってこない。特に、女子が担当していた料理部門は、苦手の極みだった。料理を大勢で作らないといけないので、自分の手順でできないし、色々と決まりがある。
 一つ、身につけたことと言えば、手持無沙汰になった時にどう振る舞えば良いのか、表舞台にいる人、と言えば大袈裟だけど、その場を取り仕切っている人や、よく動き回れる人を、ひっそりとどう支えていけば良いのか、そういった地味な立場の振る舞い方がわかったことだろうか。意外とボンヤリしていても良いのだ。何もすることがないと、ボーっと立ってても良い。皆動いているのに、私と来たら……と、最初は焦ったり右往左往したり、どうしたら良いのかと返って邪魔になったりすることもあった。でも、案外、しずか〜に立っていても構わないのだ(笑)。年上の人たちの仕事を取り上げるくらいじゃないとダメとか言う人も結構いたし、そうやってアピールして次の仕事につなげるというやり方はあったけど、私は単純にそういう性格ではない、遠慮する気持ちが強いので、つい手を引っ込めてしまう方だった。そんなんじゃ仕事で大成できないとか言われちゃうかもしれないけど、別に構わない。そういうことが大事ではないと、今、随分大人の立場からそう言える。代わりに、ただ立って皆の様子を見ていると、段々色々なことが見えてくるのだ。ああ、あそこが足りていないな、ここは目立たないかもしれないけどやっておこう、など気がついて、何かしらやらなくてはいけないことが見つかるものだ。それでも見つからない時には「何か手伝えることはありませんか?」と気軽に声をかける。そこで上手に指示を出せる人が、人をうまく動かせる人である。「自分で見つけてよ!」と、まだ何も勝手がわからない私のような人を相手にイライラしているような人は、大体その人の普段の性格や行いがわかってしまうものです。そんな客観性も身に付けた。
 大勢の人がいる時に必要なのは、多様な人格、多様な目線です。皆が「私が、私が」と頑張っていると、必ず静かに見ている人は、じわじわ必要になってくるのです。後からゆっくり効いてくるボディブローのように、かなり重要な役割だと、色々なことが過ぎ去った後に気付くわけですね。