息子が、0歳からの自分を振り返る、という授業を受けた。1ヶ月以上だっただろうか、時間をかけてゆっくり、「生活科」という科目で取り組んだようだ。私たちの時代で言えば、理科と社会があったが、最近は、2年生いっぱいまでは、理科と社会を合わせたような「生活科」という授業があって、教科書を見てみると、「季節を感じる」とか、「街を探検しよう」とか、何か作品を作ったり発表したりと結構自由な感じだ。
 2年生の最後に、0歳からの自分を振り返るというテーマが書いてあり、息子の学校では、0歳からの自分を1年ごとにどんな様子だったか書いていき、その時その時の写真を持っていき、さらに思い出の品の一つでもあれば持っていく。自分で冊子を作り、皆の前で発表する。そんな工程で、最後に「おへその勉強」をするのだと言う。
 皆の前での発表は、参観日に行われた。一人一人、自分が発表したい年齢を選び、皆の前で発表する。発表の最後に述べる感想が、皆似た感じで、先生に言わされた感じというのか、自分の言葉ではないというのが私には非常に不満だった(良いこと言わないで良いから、自分の気持ちを自分の言葉で表現してほしいものです)が、その発表の中で、子供たちが、自分たちの家族のことを気に入っている気持ちが伝わったのが収穫だった。学校側のコンセプトとしては「自分一人で育ったのではない。多くの人に見守られ、助けられながら育った」ということであり、それを子供が知るのは必要なことでもあるが、私は親として、それはできるだけ自然に気付いてほしいことであったし、傲慢で傍若無人に育っていると感じたのなら、そう感じる度に伝えれば良いと思っていた。私は子供たちにそういう恩を感じてほしいよりも、子供たちが家族が好きと言う気持ちが伝わってきたことの方が嬉しかった。なので、親側の感想を要求された時に「皆の家族への思いが伝わった」と話した。子供たちがあまりに無意識に発したメッセージで、ピンときていなかったからか、それともコンセプトと違うからか、私の意見は先生にはあまり評価されなかったみたいだけど。
 そして、その翌日、先生は改めて、皆は周りの人に囲まれて育ったんだという話と共に「おへその話」をしたと言う。おへそは哺乳類には大事な物であること、お腹の中で、お母さんから栄養と酸素をもらって育った、というような内容であったらしい。子供たちは手紙を書かされたらしく、それを帰宅後にすぐ渡してくれた。
 読むと「こんなに大へんだったんだね。こんなことがあったなんて、思わなかったよ。びっくりしたよ。こんなずっと生まれる前からそだてていたんだね。」
 と、最初の方は略したけど、こういう内容だった。
 胸がいっぱいになった。何かを感じたんだなということがわかり、それが息子の心にも影響していることだろう。
 とは言え……「こんなに大変」って何が?どんなに?「こんなこと」ってどんなことよ。何に「びっくり」したんだ?改めて読むと、笑えてきて、息子に色々聞いてみたけど。でも、息子は嫌がらずに全部答えてくれた。3キロの重さを抱っこしてみたと言う。重かったことや、お腹の中で生きていくためにおへそから、栄養や空気をもらっていたことに、色々な好奇心と知識でいっぱいの息子も、驚いたらしい。
 やたらに感動の押しつけをするような授業はいやだけど、なかなか面白い取り組みをするものですね。