さて、そんな私が、滅多にそういった仮病を使わずに、何故、ほぼ毎日通えたか。
 それは、そういった登下校の、嫌な時間を超えるような楽しいことが、学校にはたくさんあったからです。
 朝起きて「バサッ!!!」を繰り返しながら、登下校のことではなく、「学校に着いてから、○○ちゃんと会って、今日も大笑いするんだろう。○△ちゃんとお喋りしよう。□○ちゃん、今日も元気に来ているかな。」などと毎日毎日、それを考えるようにして、今日も頑張って通うんだ、と言い聞かせていた。
 仲良しの子たちがいる某運動部が休みの曜日も楽しかった。中高生って、箸が転がっても可笑しい時期だなんて言うけど、よくあれだけ爆笑することがあるなあと思うくらい、笑い転げながら帰ったし、時には、青春時代らしい友達の悩みに乗って真面目にあれこれ話した。高校になった頃には、他の文化部の友達もできたので、その子たちも、文化祭以外だと、部活が少なくてよく一緒に帰ることができたし、それはとても楽しかったけど、学校の最寄りの駅からは、ほとんどの子が反対方面の電車で、一人だけ同じ方面でもその子は一駅で降りてしまう。それでも、駅まで約30分、毎日毎日よく話題があったものだ。
 下校時に、仲良しの子が誰もいない時には、それなりの楽しみも実はあった。大好きな音楽をゆっくり聴くことのできる時間だったのだ。お嬢様学校のそこは、そういった勉強以外の娯楽的な物を持っていくことは禁止でした。でも、私はお年玉で買ったウオークマンを持って行って、イヤホンつけていました。時効ということでお許しを!音漏れに気を遣いながら、でも、大好きなロックを中心に音楽を聴くのは楽しみだった。頭の中で口ずさみ、好きな部分が出てきたら、静かにゾクゾクしていました。当時は、i-podなどもなければ、今はすたれてきたMDすらなかった時代で、CDも、私が高校生の途中からメジャーになったような頃だ。それでも中学生の頃の私はテレビから録音したり、レコードを借りてきて録音したりと楽しんだ。
 さらに、読書も好きだった。中学生の頃は当時流行りだった赤川次郎を友達と貸し借りして、高校にもなれば、太宰治山本周五郎など、読書好きな学生がたどる王道を行った。でも、すごく面白かったのだ。私は考えることが大好きなので、彼らの世界はもっと深くて心が震えるようだった。
 携帯電話もポケベル(これすら知らない若い子も多いと思いますが)もない時代、時にはテープに自分の声を録音して友達とやり取りしたことがある。それを聞きながら吹き出しそうになるのを必死でこらえたり、本ではなく、持ち込み禁止だったマンガを読んで帰ったりしたこともある。その時その時で交換日記をしていた友人の日記を読んだりもした。
 下校時間、友達が駅で一人降り、また一人降り、たった一人になってしまって、寂しい時間は、私一人きりの、のんびりできる時間でもあった。勉強しなくても良いし(もっとも家に帰ってもきちんと勉強していなかったけど)他にすることもないから、集中した。二回目の乗り換えを終えてあと4駅座っていれば自分の駅、という時には寝てしまうことも多かった。寂しくて平和な、一人の下校になることが多かった。