でも、太古から、女性と男性の役割って、実はあったでしょう?
 何だか、「太古」の話まで及んでしまい、申し訳ないです。話が大きくなり過ぎと思う人もいるかもしれないが、皆さんに、今一度訴えたい。
 乳幼児期、青少年期の心理学の本はたくさん出ています。老年期も出てきました。でも、中年期の心理について書いてある本は、その中でとても少ない方だと思います。それは、今まで重要視されていなかったからです。大人の完成型くらいにしか思われていなかったのではないだろうか。
 でも、最近は、中年期のうつ病や自殺が増えてきていて、少しずつ問題視され始めた。結婚し、子供もできて、親という立場になって、精神的に安定していると思われていたが、そうではないだろう。考えてみると、何故それで安定していると思われるのか。おかしくはないですか?子供を育てるのは、エライからではない。大人として、完成されたわけでもない。子供ができて、初めて親になるわけです。親になったからと言って、完成された人間というわけではない。
 中年期も立派に(?)揺れているんです。そのことについて、もっと注目するべきだ。
 子供を育てながら、自分の子供時代と向き合わないといけない状況が、次から次へとやってくる。それは、自分と親との関係にもつながる。そこで、精神的葛藤が起こらないわけがないのだ。考えることを放棄している人は別です。私はそういう人は、自分と向き合えない気の毒な人と思っています。きっと子供にそれは連鎖するだろう。そして、社会とのつながり方。専業主婦だって、社会とどうつながるか模索している人は多い。仕事している女性も、ふと自分の仕事をこのまま続けていくのかと考える瞬間があるだろう。男性も、自分より下の者が増えて、指導的立場にいて、仕事の中の中心として働くことが要求されつつ、できることとできないこととの間で、気持ちが強く揺れることが多いようだ。
 決して、気持ちが安定しているわけではない中年期。もっと、中年期の心の動きにも注目しようではないか!すごく面白いはずだ。
 そうやって、つきつめて考えていくうちに、太古の話まで及んできました(笑)。
 男性と女性には、それぞれの役割がある。それは、外見的なことだけではない。女性が着飾り、華やかでいようとするのは、本来は、男性に注目されるため(それだけではないが、そのことはまた後に書こう)。特定の男性の心をつかみ、結婚することができれば、その子孫を残すことができる。それは、命の大事な連鎖である。男女の役割は、単純にそこからある。人類が生き残っていくために、人はあらゆることを楽しみながら果たしていく。そして、家庭を築いて、子孫を幸せにするために、心を砕く。その時に、女性が、母親の役割をするのは、それに「向いている人が多いから」としか言いようがない。もちろん、そうではない人もいる。一般的に、女性は母親の役割を担い、男性は父親の役割を担う。死別や離別があったとすれば、そういった役割の人が必要。子供の成長にとても重要である。
 そんな役割を演じつつ、結局は、女性だけでなく、男性も、相手が何を求めているのかを考えながら生きている。さらに言えば、人は、男性として女性としての役割だけでなく、社会での役割を考えながら生きているのではないだろうか。
 そして、やはり疑問に思うのは、じゃあ「中年女性」は何を求められているのだろうかという点だ。母親的なものを求められているとしたら、それは子供の視点からである。社会的に求められているものはないのか。夫や、外の社会で、何かを求められているのか。