何だか自分の「男性の好み」の話題が、思いの外、長くなってしまったけど、そこから「女性の立場」について、考えが及びます。
 才能を感じ、尊敬できる男性が好みだと書きました。では、私はどうなのかと言えば、特別「コレ」といった才能もない、尊敬されるような取り柄もない人間です。
 30を超え、40になろうとしている今、私はどういう女性でありたいのか。
 『宇宙兄弟』を読んで主人公にトキめき、好みの男性のタイプを再確認したが、「じゃあ私は?」と自然に疑問が湧いてきた。
 実は、私は、昔から「私には、秀でた特技が何もないな」と感じていた。
 祖母は、父方が、お琴と三味線の先生であった。母方は書道の先生であった。母は、ヴァイオリンやピアノの先生であった。私は、彼女たちが、そういったことに打ち込んでいる姿が、とても好きだった。「好き」と思って見ていたわけじゃないけど、父方の祖母がお琴を弾きながら歌う時、母方の祖母が私の字を見て、淡々と説明しながら直しどころに朱色の筆を入れる時、母がヴァイオリンに没頭している時、その表情や言葉の調子、思いきった感じを、気分良く眺めていた。そして、度々、ふと「私には何もないなあ」と、自分を振り返って、何となく気が滅入るのだった。
 周りには「アナタには文があるじゃない。文が好きで、書くのが上手でしょ」と言ってくれる人もいるが、秀でているわけではない。確かに並はずれたほど、書くのが「好き」という自覚はある。でも、人に教えるほどでもなければ、ただ好きで書いているだけで、優れた文というわけでもない。
 今は、人の心のメカニズムに興味を持っているが、形になっているわけでもなく、何かを成し遂げたわけでもない。人を相手に何かをしてあげられるような立場にもない。
 では。私は、今後、何を目指し、どういった人物像を目標に、どんな風に生きていこうか。大袈裟に、そんなことまで考え始めた。
 そもそも、男性は、自分の中に好きなことや、好きであると共に秀でていることが見つかると、それを生かした仕事をすることができる。女性もそうかもしれない。でも、現代社会、まだまだ女性は「頑張らないと」認められない。それは、その才能にプラスされた努力という意味ではなく、「男性社会で」生きていくために、頑張らないといけない。
 男性は、中年女性に何を求めているのか。私は中年女性をどう見ているのか。
 どんなに仕事のできる女性でも、どこか女性らしさがないと、痛々しく写ってしまうのは何故か。才能とか大好きなことに身を任せている男性は素敵なのに、そういうことに身を任せる女性は、どうして少ないのか。身を任せ過ぎずに、子供のことを思うお母さんであってほしい、家庭をある程度回す奥さんであってほしい、と願う私は、働く女性の敵なのか?
 ああ、わからなくなってしまった、こんな時は、夫と話そう。話して整理しつつ、夫の男性側の意見も聞いてみよう。
 あらゆる疑問を、しつこく疑問としてぶつけ、解消するまで食い下がる私は、少々うっとうしいことと思うが、納得したい私は、また夫を引っ張ってきた。
 ごめん、夫。また似たような話題だ。
 「中年期の女性について」。意見を聞きたい。