近所で、親しくなった人がいるのだが、夫の職業が一緒。職場のアパートに住んでいるので、お互いのダンナの仕事が一緒なのは、まあ当たり前なんです。ただ、同じアパートに住んでいると、夫の職業が一緒であることで、そういう自分たちの立場を感じずにはいられないことが多い。そういう、学生時代の友人の「‘デキる男’と結婚している私が自慢」のような奥さんが結構いる。私は夫の仕事のことをよく知らないが、時々専門的な、私には「ポカーン」という訳のわからない話をされると、「ポカーン」「意味がわからんわあ〜」とか思っているんだけど、その横で「へぇすごいなー」と思っている自分も確かにいることはいるんです。その内容を理解したい気持ちは多少あるんだけどね、わからない自分が心底いやになることも当然あるんだけどね。でもね、夫の仕事の詳細や肩書に関して、立場以外は、自分とは無関係です。夫は、結婚している相手には間違いないんだけど、「私」ではない。私は夫をすごいなーと思うことはあるけど、その夫と結婚した私「だから」自分のことが誇らしいとか、そういうことではないと思っている。
 で、その近所で親しくしている友人も、似た考えです。「別に自分がエライんじゃないよね。」と、‘何故だか高慢な態度の奥さん’を見ては言っている。自分は奥さんだけど、所詮、他人じゃないか。親子にしたって、血が繋がっていても、でも自分ではない。
 そんなわけでですね、私は、夫のしていること自体より、それに対する静かな熱意をすごいなーと思うわけだ。職業だとか、仕事に対する信念とかを聞くことはあるけど、何をしているか詳細にはわかっていない。そんなに私が好奇心を持てないから聞いても何だかよくわからないのだ。以前、私が慕っていた年上の奥さんに「ご主人は、お仕事で何してらっしゃるの?」と聞かれたことがあった。職業は知られていたが、その内容を聞きたいと言うのだ。その時に「え?知らない。」と言うと「知らないの?アナタそれはなかなかの度胸よ。」と笑われた。別に構わないんダ〜。
 「自分が尊敬できる人と結婚していたら、ずっと尊敬できて、そうすればきっとその人自身を尊重できるので、結婚生活も快適。」
 多分、学生時代の頃、本当のところはそういう考えだったと思う。だけど、それはちょっと違った。つきつめて考えていくと、私は「そういう人が好み」だった。尊敬できる人は、「私にとって」何らかの秀でたところを持った人だった。夫は「僕なんて、大したことないよ。世の中にはもっとスゴイ人がたくさんいるんだよ」とか言っている。そりゃそうだろう、そういうものだろう、テレビやネットを観ていても、本や雑誌を目にしても、何だか有能な人は山のようにいるではないか。でも私は、私目線で「スゴイなあ」と思うものがあればそれで良いのだ。他の誰かと比べているわけじゃない。当然、私と比べているわけでもない(笑)。「私がどう思うか」である。
 だから、自分の感性を大事にしたいというかね、それによって人を好きだと思ったりそうでもないと思ったり、嫌いと思ったりしてしまうわけだから、その気持ちには正直でいたいのだ。
 奥田民生もそんな理由で大好きなんです。曲を聴いて、彼の声を聴いて、演奏を聴いていると、彼の才能があふれ出している。世間の目に振り回されない、信念を持って、でもちゃんと周りを見ながら、自分を見失わないようにしている奥田民生はものすごく魅力的。イキっているところもない。
 そして、『宇宙兄弟』の主人公。全然スマートじゃない彼も、才能であふれている。