でも、「自分」を考えた時に、また少し立ち止まった。ずっと、「これが私」と思っていた部分はあるが、それが、いわゆるアラフォーになった時に、いやいや待てよ、本当に「それが私」なのかなと振り返らずにはいられなくなった。
 おそらく、皆が思う私と、私が思う私は違うし、親しい人たちにも、それぞれ違う面が強く出ているのかもしれない。そんなものには実体がないのだ、人はどうにでもなる!とか考え始めると、また宇宙規模的に、考えがどんどん広がってしまうので、そこに関しては、今は適度にキリをつけていきましょうね。
 私はどういう人を素敵だなと感じ、自分はどうしたいのか、そしてその中身は?と考えた時、外見的なことはある程度結論が出てきている。でも、中身はどうなのかな。大事だと思われる「雰囲気」も、その人の中身から発せられるものがあるだろう。わからなーい、知らなーい、教えてー、という甘えを、可愛さとして受け止めてもらえるのは、若いうちだ。じゃあ、何でも知っているのが良い、気を強く持ってアピールするのが良い!というわけでもないだろう。さらに、自分らしさとやらを追求したところで、わがままになったり、そんな自分に甘んじてしまったり、厚かましくなったりしたら、自分自身で残念に思える。
 自分の「考え」を持っていたい、というのが、さらなる、とりあえずの結論だ。その考えで、相手を打ち負かそうとかいうものではなく、自分が不当な攻撃を受けた時に、それに対して心が折れないことは大事だ。何か聞かれた時に、自分の考えていることならば、それを、答えられる範囲で良いから、自分の言葉で語ることができるのも大事だ。若い頃から、どこかで読んだような言葉、聞いたような台詞を言っても、まだ若いから、で許してもらえるが、今はそうではないだろう。一般的にどう思うか、人はどう思っているかではなく、しっかりと考えたことを言えること。そして、ちょっとくらいの違いがあっても、その相手を受け入れる度量を持つことも大事だと思う。それには、心の余裕をある程度持ち、人生を楽しむことも必要ですね。その「違い」に関しても、以前から意識的ではあるが、もっと多くの違いを知ることと、それを許すことができるのは、年を経ないとできないことだと、最近思う。頭で許すのではなく、心で許し、流す。
 そして、「人生を楽しむ」というのがどういうことなのかと考えた時に、自分の立場も含めて、また気持ちが揺れる。人生を「楽しむ」こと自体、今の世の中で、贅沢なのではないだろうか。
 さて、長くなっていますが、まだまだ続きます。
 中年期のことを考えているはずなのに、男と女の違いについて考え始めると、根本的なことでもあるような気がするし、少しずつ築き上げられてきた文明のようなもの、である気もしてきました。まだまだ思考の途中であります。