奥田民生石川さゆりの対談から、自分のキャンプのリーダーやってた頃のグループについて話が及んでいるが、このことに関しても、まだ続けさせて下さい。

 女性って、年下の男性に対して「どうせ年上だからオバさんだと思っているんでしょ」って、1つや2つ上でもすぐ思ってしまう。そして、それを口にせずにはいられない人が多い。私も、言わないけど、つい言いたくなってしまう言葉だ。でも、言葉にすると、相手の男性は、笑いながらそれを打ち消す。打ち消さなければいけない。その「打ち消さなければいけない」という、一連のやり取りが、実は面倒くさい、と夫は言っていた。「またそのくだりですね、ハイ、では、一応否定しておきます」といった感じで否定するのだと言っていた。それと同じようなことを確かに、大学生の頃、同じ学年の男の子たちが、上級生の女性たちに対して言っているのを、何度か耳にした。
 そんな下らないことで、年下の男の子たちに気を使わせるのは申し訳ない。むしろそのやり取りが、うっとうしいわけだ。
 結論は、やっぱり夫の言うように、外見の美しさだけで頑張るのではない。したくたって、できない。できないのに、無理矢理、自分を卑下して、相手に否定したもらったところで、気持ちは満たされない。自虐ネタとして、周りを笑わせたり、お互い笑い飛ばすのは構わないが、本当に卑屈になってしまったら笑えない。
 それをカバーしようと、化粧を厚くしても、段々カバーしきれなくなってきて、その厚塗りが石膏みたいに不自然になるし、可愛さを演出しようと思って、女の甘えた部分を出すと返って見苦しい。「私だって女なのよ〜」という色気を前面に出そうとしている随分年上の女性を、またまたタイミング良く、目の前でみる機会があった。首をかしげて上目遣いで、うふふと笑って見せるその厚塗りの女性に、もちろん「可愛い」とは思えなかった。外見や仕草で作りだす「可愛い」なんて、中年期以降、無理なのだ。ヤダ、できな〜い、知らな〜い、なんていう、古臭い可愛らしさを、年上の女性に見せられた所で、何だか気の毒になる気持ちが湧いてくる程度だ。そうか……と、その女性を見て、中年以降の自分の在り方を、皮肉にも納得することができた。
 こんな女性のようでありたいというモデルもあったりする。それは、やはり、年を重ねても毅然とした女性だろうか。年を取ったことで卑屈になるのではなく、若い人に媚びるわけでもない、その人独特の世界を持ち、「自分を受け入れている女性」だろうか。女性らしさもありつつ、それを売りにしない。年を重ねたことも押し付けない。控えめでありながら、「自分」を律しているという感じだろうか。
 ただ、好みの問題として、自分の好きなオシャレは、していたい。化粧っ気は元々あまりないので、どうしても最低限になってしまうけど、肌の手入れは時間がないバタバタの中でも、少しでも忘れずにいたい。日常生活の中で、主婦らしさは拭えない。ウチの中の状態も、整理整頓は好きだが、少しくらいならゴチャゴチャしている方が、生活感があって落ち着く。プラス、これまでにも書いたように、独り言が多い、ウチの中、外関係なくつい鼻歌を歌ってしまう、店員や受付の人に気軽に質問できちゃうとか、恥ずかしさが減ったとかいうことは、後戻りできない感じだ。でも、だからと言って、その立場に甘んじるのではない。
 自分の中での「中年期以降の女性の在り方」に、とりあえずの答えが出た。
 でも、まだまだ私の思索は続きます。