息子は、初めて観た映画が『カールじいさんの空飛ぶ家』です。ドラマや映画、そもそも長時間テレビを観ることをしない息子にとって、映画館で観る映画は、相当なインパクトだったに違いない。
 映画館の中での息子は、アメリカ人ばりのリアクションを取ってくれる。「ドキドキする!」と言って手を握ってきたり、何ならダンナや私に抱きついてきたりする。ある場面では「びっくりしたあ〜」と驚き、うまくいきそうでいかなかった場面では「どうしてこうなっちゃうんだろうねえ!」と身もだえして悔しがり、笑える場面で爆笑したりして、良いなと思う場面には「感動して泣きそうだ」と訴えてくる。
 そして、その1年以内に『トイストーリー3』を観る機会があった。事前に、1と2をDVDで持っている私たちは、息子にみせて、それまでの筋を追った。それまでの筋を観てこその3であるという評判を聞いていたし、その方がキャラクターもわかって楽しめるはずだと思ったからだ。ウチの中でも、息子は相当なリアクションを取ってくれた。当然、映画館の中で、3を観た時も、かなり入りこんで楽しんでくれた。
 そしてふと自分の子供の頃観た映画のことを振り返った。
 このカテゴリーの最初に書いたが、私が幼少期に、アメリカニュージャージーに住んでいた頃、『グリース』『スターウオーズ』『スーパーマン』『未知との遭遇』など、ハリウッド映画の結構な有名作品を映画館でやっていた。5歳くらいの私が、そんな大人が観ても楽しい映画を一緒に観に行けたのは、ラッキーだったと言えるだろう。
 帰国後、映画館に行く機会はめっきり減った。学校の行事の一環として観に行く映画は、時にはあったが、一度、知り合いとプライベートで子供向けの映画を観て、ガッカリして帰った覚えがある。子供向けの映画は、所詮子供向けなのだ、と、子供のクセに思った。
 その気持ちは、申し訳ない気がして、誰にも言わなかったが、今回の『トイストーリー3』を、息子とも観れたこと、そしてアカデミー賞の長編アニメ賞を獲ったことで、その頃の気持ちをまざまざと思い出し、そして、何が違うのだ?と考えた。
 ガッカリした映画は、確かに、各場面においては、感動した。子供向けの映画の多くはそうである。泣きそうになったり、実際に泣くような大作だってたくさんある。でも、薄っぺらく感じるのは何故?子供にわかりやすく、としているにしても、それは対象が幼児〜であったりするから仕方ないはずだ。では何故、感動しても、薄っぺらいんだ?
 おそらくそれは、感動する場面というのが、決まっているからではないだろうか。
 「ここは、皆が感動する場面ですよ。」「泣ける決め台詞ですよ。」というのが、いやでも誰にでもわかるように描かれている。だから何となく薄っぺらく感じてしまうんですね。
 『トイストーリー3』を観た後、感想を家族で話していると、三人三様だった。ハラハラする場面は次々とあがり、どこで泣きそうになるほど感動したかに関しては、三人とも違った。「ああ、そこもわかるなあ。」とか言いつつ、自分が一番感じ入った場面は違うのだ。
 本当に面白い映画は、印象に残ったシーンは一緒だとしても、全体的に大きな流れがあるにしても、自分が感情移入する場面は、人それぞれだという気がする。