そうか、とりあえずは納得した。若い子にはない良さ。同じ土俵で美貌だの、ファッションセンスだの、色気だの、可愛さだので闘っても勝てっこないのだ。いや、勝ち負けじゃないんだけどさ(笑)。とにかく、若くはないのだとかみしめられた。
 そして、アラフォー以上の女性として、自分がどうあるべきか、少し前が見えた気がした。それは確かに30代終盤になるまでとは違う、自分の気持ちや生き方を今一度考えようという機会になった。
 「どうせ、若い子の方が良いんでしょ。」という気持ちが拭えたわけではない。でも、それはまさに「動物学的な」「生物学的な」理由だとしか言いようがないのではないだろうか。若い頃は、やっぱり美しくなくちゃ。可愛くなくちゃ。ピチピチして、ツヤツヤして、色々なことにちょっと戸惑いながら、達者過ぎないでいながら、一生懸命社会を経験しているのが良い。その「社会」が学校という場でも良いから、とにかく、精一杯やっているのが良い。
 その頃を超えると、少しずつ周りが見えてくる。色々なことに自由になってくる。考え方も、感じ方も、表現の仕方も、若い頃より自由になることに対して、喜びを覚えるようになる。
 そして、さらにその頃を満喫し、落ち着き始めたまさに中年期。私たちは、若い頃の女性であった自分と、とりあえず断絶する。最初は、身体的に段々それを知らされる。そして、はたと気づくと、精神的にも。ちょっとした失望を、自分に覚える。そして、女性である意味を考える。
 もちろん、オシャレはしたい。着たい服、着けてみたいアクセサリー、やってみたい髪型はある。テレビを見ていて、魅力的な男の人は出てくる。(と言っても、私の場合は偏っているんだけどね。笑)良いなあと思った時に、こういう人もやっぱり若い人の方が良いのかなと思うことはしょっちゅうある。
 タイミング良く(?!)昨年、奥田民生が、石川さゆりのために、作詞作曲を手掛けた、ということがあり、その曲をテレビで披露しつつ、二人の対談の様子が映された。年齢差を見ると、奥田民生の奥さんと同じくらいではないだろうか。大好きな奥田民生は、年上の女性と結婚した。20代、30代の頃は、年上であることは、お互いにさほど気にならなかっただろう。そして、今の年齢で、奥さんは何を思っているのだろう。ふと、私が昔、自分がキャンプのリーダーをしていた頃のことを思い出した。
 そこのグループでは、大学生ばかりが集まっているのだが、大学1年、2年である男の子たちは、3、4年生の女の子たちの弟分であった。ちょっとだけお姉さん風吹かせて、気楽に、物を頼んだりからかったりする3、4年生の女子を、最初は多少憧れの気持ちで見ていた私だったが、同じ学年の男女の飲み会がある度に、男の子たちは「年上だから言うこと聞かなくちゃいけない」「面倒くさい」と、ちょっとエラソぶる年上のお姉さん方のことを、厚かましいと評していた。だけど、年上だから聞かなくちゃいけないのだと。
 それを聞いて、幾ら年下で言うことを聞いてくれるからと、図に乗ってはいけない、笑って気の良いフリをして、優しくしているだけで、心の中では色々思っているんだと知った。それ以来、年下の男の子には、気を使うようになった。もちろんそれは、ずっと続いている。仕方なく、こちらに合わせてくれたり、気を使って「弟分」を演じてくれているだけなのだと、肝に銘じて、年上ヅラしてはいけないと思うようになった。