幸い、色々なことに気付いてしまった(笑)。余計なことと言う人もいるかもしれない。でも、それによって、あらゆることがクリアになっていく。一番良かったと心から思えるのは、自分の子供に対して、自分自身が不可解だと思うような対応をする、ということが減っていくことだ。さらに、夫婦間でも、無駄な怒りとか「不必要なほどの」悲しみを感じないで済むようになる。深く考えても、何か一つ得るものがあれば、そういったことにつながって、あらゆる苦しみが軽減されることを実感するからだ。
 もちろん、考えている最中は苦しい。でも、考え始めて辛くなってきた時に、辛いからと、考えるのをやめてしまうと、同じ状況に陥った時に、また同じ気持ちになる。それを繰り返す方がよっぽど苦しい。繰り返しているだけだとまだ良いかもしれない。どんどんその気持ちが強く辛くなっていくこともある。その度に、首を振って、考えないようにしようとしていると、私の場合は親子関係、夫婦関係、そして友人関係、ちょっとした近所の関係まで悪いものになっていく気がする。
 考えなくて良いことは考えない。例えば、未来を不安がること。どうなってしまうんだろう?こうなったらどうしよう?などと、先の心配事を幾ら考えても、どうにもならない。だから、そういうことは、それこそ首を振って考えないようにする。ただ、こういうケースがある、ああいうケースがあるということをとりあえず念頭には入れつつ、あまり考えないようにする。そうじゃなくても、先のことって、つい緊張したり、期待してしまったりで、うまくいかない、ガッカリ、なんてことは山のようにある。
 自分のしでかした失敗についても、あまりしつこく深刻に考えないようにしている。やってしまったことは、時間を戻せないから変えられない。だから、考えるとしたら、いかに対処するか、ということだ。「いかに対処するか」に関しては、充分頭を使いたい。咄嗟の対応とか、反射神経とかは、嫌になるほどすごく鈍いけど。目の前の大きな困難に対してはゆっくり考える。その際に、どうしても過去を振り返らないといけないこともある。相手がいれば、誠意が伝わる方法を考えるし、それは相手の立場に立って、相手の気持ちを想像することになる。あらゆることを考える時、考えない時、自分らしさが発揮できる。
 例えば、河合隼雄は、「何ができるか」「何をするか」「何をしたいか」などといったことは、「自我」実現であるというようなことを書いていた。つまり、それは周りから目に見えるようなことだと私は受け取る。本当の「自己実現」というものは、自分がどう感じ、どう考え、それをどう表現しながら生きていくか、というようなことだった。
 私は、人の心を真摯に受け止めたい。人の好き嫌いが強いので、この人いやだと思ったら、どうしても自分の領域に入れられないという心の狭さ、器の小ささがある。でも、自分が接している人の気持ちは、本当に真摯に受け止めたいと思っている。それは、自分の考えと向き合うことでもある。
 自分の考えと向き合うことは、簡単なことではない。辛いので、多くの人が途中で挫折する。自分の考えと向き合っていると、いやがおうでも自分の闇の部分と向き合わないといけないからだ。それは、過去へとつながり、過去の記憶にもつながる。過去の記憶は、楽しいことや良かったことばかりではない。闇の部分と向き合う時には、過去の辛いこと、悲しかったことは、美談として自分の中におさめられないことが多くあるはずだ。
 これからも肩に力を入れ過ぎず、たくさんのことを考えて書いていきたいと思っています。