今まで、心理学を勉強しているなどと言ったり書いたりしていたが、こっそり打ち明けると、実はもうだいぶ前から、その言葉に違和感があった。
 実際にしているのは、「心理学の勉強」というほどのものではない。ただ、人の心に興味があるというだけでね。人が平均的に興味を持つ以上に、執着があると思う。だから、人の心、何故そういう気持ちになるかのメカニズムを知りたくて、そういったことについての本をたくさん読んでいる。その多くが、臨床心理士の書いた物であったり、カウンセラーが自分たちの診てきた患者について書いてきた物であったりする。その親子関係、夫婦関係、家族関係を考えて、からくりがあると考え、共通点を見出し、解説している。
 何度も書いているが、「こう育てたからこうなった」と「こう育てるとこうなる」と言えるものではない。もし、そうであるなら、すべての大人がそうやってすべての子供をコントロールしていけるはずだ。そして、思うような人間をつくり上げるだろう。でも、実際は、問題が起きてから、振り返った時に「あの時の、こういうことが問題とつながっているのでは」と考える、という程度で、そうしないよう親は努力するものの、できないことも多いし、直接的にあるたった一つの出来事がその問題とつながっているわけではない。
 子供のことで悩んだ時に、あらゆる本を読んでも、答えが書いてあるわけではない。明確過ぎる答えが書いてあるとしたら、その答えこそ疑ってかかる方が良いくらい、親も子供も千差万別で、一人一人、反応も違えば、そのために対応の仕方も違う。
 専門家にはなれない、カウンセラーもできなさそうだ、そう思いながら何故読み続けているのかと言えば、やはり興味がつきないからだ(何らかの形で、どうにかして生かしたいという思いは、ずっと持ち続けてはいるが)。症例も似たようで、一人一人家庭環境は違うし、もちろん親子関係も違う。親の個性も違えば、子供の個性も違う。だから、一つたりとて、まったく同じ問題はないのだ。幾らでも例はあり、カウンセラーの反応も、例によって、或いはカウンセラー自身の個性によって違う。
 そして、臨床心理士やカウンセラーなど、専門家の主張も人それぞれ少しずつ違う。
 そんな中で、どういったことが一貫しているか、何が家族関係において大事かを見極める。最初の何十冊かはそんな作業だった。しかし段々何が大事かはわかってくるので、自分のことと重ね合わせて考えてみたり、どこか当てはまるところはないか想像してみたり、それによって、自分の家族、他人の家族、色々思いを巡らせる。
 結局、そういった本を読んでいくことで、自分の考えをまとめていくことが、私にとっては楽しい作業であり、日々生活していくのに必要な作業であった。短所と長所は裏返しと言うが、私は自分の長所を、裏返せば短所になると思うばかりで、短所が長所になるとは考えもしなかった。それが最近は、「考え過ぎ」と思っていた短所が、実は長所であることだと思えるようになった。私の「考え過ぎる部分」を誉めてくれる人が、実は結構多いことに気付いたからだ。カウンセラーや夫、友達など、具体的な誉め方をしてくれる人もいるし「考えることは自分と向き合えること。そういう人は本当に心が強い人」と、言ってくれた友人もいる。
 長い間、私は「考える」自分にコンプレックスを持っていた。考え過ぎることで、深みに入り、抜け出せなくなってしまうのではないかという周りの心配もあっただろうし、それで何かに大変なこと、気付かなくても良いことにまで気づいて、考えてしまうのではないかということもあったかもしれない。