今回は、犯人の親子関係を基に、改めて、親子関係において大事な部分を書いていく。
 強く感じたのは、「親の期待」の、何と罪深いことだろう。子供に対しての将来だけでなく、こういう子であってほしいという「期待」。こうしてほしい、こう振舞ってほしい、そして、そうでない時に、子供に向ける「失望した」というメッセージ。
 子供自身に知識がなく、或いは余程の強さがなければ、親に失望されるのは、子供にとって大ダメージだ。「親の期待に応えたい」という気持ちは、多くの被虐待児でも、持つという。親の期待に応えられないのは自分が悪い、親に怒られるのも親を悲しませるのも自分のせい、失望されないように頑張らねばと、子供は思うものである。親がどんなに自分本位で身勝手な期待を持っているにしても、である。親は、虐待こそしなくても、つい子供に何らかの期待を持ちたくなってしまうものだ。でも、それは「子供に対する自分本位な気持ち」であること、そしてその気持ちが、子供をひどく傷つけることがあるということも、を肝に銘じておかなければならない。
 親が、子供に対して、否定的な感情のメッセージを伝えて良いのは、心から打ちひしがれた思いをした時や、子供の持つ言葉の重要性について深刻に話し合わなければいけない時だけだ。親が「大人」になっていれば、子供のある程度の暴言をたしなめることができる。子供の甘えた気持ちを受け流せる。もちろん、子供は、いくら子供でも、自分の言動に対して、責任を持たなければいけない。しかしそれには、子供の気持ちを発散してもらい、少しずつ加減していくことを覚えてもらうことから始めていく。それをゆっくり待つことができない親が多い。親が未成熟なままであれば、子供のちょっとした言動に傷つき、大袈裟に反応してしまう。そして、反応したことを、わざわざ子供に知らしめる。無意識のうちに、子供に罪悪感を持たせる。私もそんな風に振舞ってしまうことがあり、気をつけなければと思っている。少なくとも、そういったことをした後は、きちんと謝らなければならない。それが人間同士のつきあいの基本だ。それができない親は、子供に「人を傷つけても謝らなくたって良い」メッセージを伝えているも同然。親自身の、気まずさや照れ、そして間違った不必要な権威、にとらわれて、子供に謝れない親の何と多いことか。自分が相手を傷つけたことを認める勇気を持ち、それを具体的に言語化して表現する勇気を持つことで謝れる親を、子供は心から尊敬するものだ。幼い頃から、親の前でも加減し頑張ってきた子供は、大人になってからも親を傷つけてしまうことになお敏感だ。
 親子関係が逆転してはならない。親はあくまでも子供のボスであり、子供に対して、親の部分を求めるのは、子供にとって不幸である。そうでなくても、子供は親の思いに一生懸命応えようとするからだ。自分の親の役割を子供に求めている親は、本当の意味での子離れができない。私も自分の子供が少しずつ自分の手を離れていくのを、心から寂しく思うことが多い。今後はもっと切実なものとなっていくだろう。子供は、少しずつ自分で感情を処理し、私が必要でなくなっていく。でもそれは喜びでもある、というのが親の本来の気持ちのはずだ。でも、子供が自分から離れていく状態を怖いと感じ、子供の心や親子関係を縛り付けておくべく、子供の罪悪感に訴えてみたりしてつなぎとめようとする親が結構いる。幸せな子供のすること、言うことに水を差し、幸せになってはいけないことを、子供は無意識にでも感じて、そのように成長してしまう。そういう思考回路が出来上がってしまう。