今回の事件についても、腹立たしいとか、空しいとか、そういう気持ちとは別に、犯人の幼い頃の家庭環境、そこから育っていき、事件に至るまでの社会の環境、を知らなければならないと思った。今に至った心の動きを少しでも知ることで、「人の心」についての何らかのヒントを得たいと思ったのだ。事件を起こしたきっかけに理解を示すことはできない。何故その事件を起こしたのかは、公判の最後まで読んでも、納得はいかない。どんどん落ちていく犯人の心に理解はできても、=あの事件とはつながらない。何故それで、多くの人が亡くなり、傷つかなければいけないのか。それにもし、自分が、そして家族や友人などが、同じ場面に遭遇して、命を落としたら、事実を、受け入れられず、怒りや悲しみだけでは表現できない激しい苦痛に満ちた人生になるだろう。結局、理解はできないままだ。成育歴に同情はすれども、それは直接今回の事件に結びつくことはない、という前提で、書いていきたい。
 公判の内容を読んでいる途中で、涙が止まらなくなった場面があった。
 犯人の語る家庭環境は、強烈ではないのに残酷さがあり、それに近い程度の話は、周りで聞くこともあるが、それがあまりに生々しい。一人の人間が、何を覚えていて、それをどう感じ、心に残っているのか、親と受け取り方が全然違うということ。親の軽さと子供の重さ。子供の彼の心が、とても寂しく、震えるような心細さと、そこでうまく生きなければいけないと思う孤独感と健気さが伝わってくる。私自身が子供という立場で感じてきたことや、幼い頃の自分が感じてきたこと、自分が母親としての息子への対応、息子の心を思って、涙が止まらなかった。
 幼い頃の家庭環境については(事件とは直接は関係なく)、人格形成の上で大事だと思われる、気の毒な家庭だという印象を持った。
 子供自身に、最初から罪のある子などいない。私は、親の愛情を感じられない子供に関して、直視することができないくらい、とても苦手だ。こんな私が人の心の勉強をしていると公言はしない方が良いと自分で思っているくらい苦手だ。
 が。「幼い子供」の心がすさんでしまう一番の責任は親にあるのだ、とそれだけは声を大にして言いたい。「幼いのに性格が悪い」と言われる子供もいるが、それも否定する。子供が最初から性格悪く、歪んだ考えを持って生まれてくるということはない。人は色々な面を持っているものだが、他人を不快にさせるような場面があるということは、それ相応のストレスがあるということだ。親を困らせようとして、わざわざしていることなども、「構ってほしい」のサインである。親が感情的になるのは、親に何らかの気持ちの問題があるからだ。そこに親が向き合えないから、子供に感情をぶつける。
 事件を起こした人に関しては、様々に複雑な背景が原因だとされる。確かに、単純な「原因」→「結果」はないが、幼い子供の人格形成は、外の世界より先に親である。親との関係が基盤にあってこその、外の世界なのだ。そこを取り違えている人も多い。相性が悪いから、言うこと聞かないから、外で学んできてほしいと、外での教育や他人まかせたりする親がいる。しかし、どんな世界であっても、親子関係がしっかり築けていることは、基本なのだ。親子関係が希薄でも、何とかまともに育ったとしましょう。でも、その子供が成育歴に意識的でなければ、その希薄さは連鎖する。もっと強い憎しみや恨みが生まれることもある。今、この社会でできることを探れば、周りの人の助けを求めつつ、親は子供と向き合わなければいけない。