秋葉原での無差別殺人事件、と書けば、多くの人がわかると思います。
 一人の男性が、車で人ごみに突っ込み、ナイフを振り回し、多くの人々を殺傷し、周りにいた人々の心をも傷つけ、ニュースを観た人々を恐怖に陥れた、凄惨な事件だった。現場にいた人たちの、逃げようとする必死な気持ち、助けてあげようとする必死な気持ち、恐ろしい思い、その後ずっと後を引いているであろう恐怖心を思って、繰り返し流れるニュースを観ることができなかった。犯人に、どういう事情があっても、許せることではない。決して理解してあげたくはない。亡くなった人、遺族の方々、傷つけられた人、周りで必死だった人たちのことを思うと、怒りと悲しみと恐怖心が起こる。
 以前も、ここでこのことについて言及したが、改めて書きたい。
 これを書いている日の前後、公判が行われ、それを某新聞のサイトで詳細を追うことができた。本来、読む気がしないはずのものであろう内容を、私は読ま「なければいけない」という気持ちで読んだ。
 私が、人の心についての勉強を始めたのは、2歳である息子の気持ちがまったくわからなかったからだ。自分の対応にも何か重大な問題点があるのではと思ったからだ。それからどんどん、人の心についてハマっていった。2歳だった息子の心……それは、単純なものではなかった。そして、成長するにつれ、人がいかに複雑に問題を抱え、自分がどう対処してきたか、どういう環境で、どんな風に影響を受けたのか、あらゆる角度から考えるようになっていった。
 何度も書いてきているが、「こう育てたからこうなった」「こう育てるためには、こうすれば良い」と、親も周りも単純に言えるものではないし、謙虚でいなければいけないと、心して思う。親の影響は多大であり、家庭外の環境の影響も大したものだからだ。あらゆる事件は、一つのことではなく、たくさんのことが複雑に絡み合って起こっている。
 最近は、幼稚園や学校などに、家庭でするべき躾、教育を押し付けている親が多く、子供に何かあると、第一に周りのせいだと考える人が周りにもいる。そうでなければ、自分が全部背負わなければと、子供の将来まで背負ってしまって、子供の意志も見えずに自分の意志を子供に押し付けて必死になってしまっている親がいる。しかし、そのバランスというのは、どんなに勉強していても、とても難しいものだと思える。そこには、理屈だけではない、親の精神バランスが絶妙に保たれていることが多く、子供との相性も含めて、実際は非常に繊細なやり取りが行われている。そして、それはほぼ無意識のものであって、意識的にコントロールできる人はほとんどいない。知識を頭に入れても、行動が伴わず、戸惑う場面の何と多いことか。それでも、今のところ、私は子供に泣かれても、覚悟を持って接しなければいけないと、毅然と振舞いつつ、度々感情的になって怒ってしまい、戸惑い、揺れては、反省の日々。ただ、とにかく人任せではいけないし、自分だけが自分の子供を育てているという傲慢な考えは持っていない。あらゆる環境が子供に影響を及ぼし、子供は親が思う感じ方とは、「違う感じ方」で生きている。
 だから、少年犯罪心理学に関する本を何冊か手に取り、犯罪をおこす人の家庭環境やそのほかの環境に興味を持った。世間で言われているように「甘やかされたのよ」「いじめられたのよ」「孤立していたのよ」「親が悪いのよ」といったような、そういう単純な問題ではないと思うからだ。何故、その子供がそうなったのかを知りたい。どういう葛藤を経てきたのかを、少しでも知りたいと思ったからだ。